TOYOTA CORONA ハードトップの誘惑

 皆さんご機嫌いかがでしょうか?

 

 今日は”トヨタ コロナ ハードトップ”を書かせていただきます。

皆さんこの車ご存じですか?もう世の中”コロナ”と言えば「ウイルス」しかイメージできないと思います。

 

TOYOTA CORONA」”トヨタ コロナ”とは、初代がなんと「1957年7月」発売!

しかも11代、44年も続いて発売された偉大でしかも国民に愛されました。私の”父親も所有”していました。私も所有していたので、クルマは違えど「トヨタ コロナ」を所有していたことになりますね!

 

 

 私の所有していたモデルをご紹介させていただきます。

7代目にあたる「TOYOTA CORONA」でタイプは「2ドアハードトップ」グレードは「1800GT-T」でした。当時のコロナは「ニッサン ブルーバード」と販売競争を繰り広げていました。スタンダードモデルがセダンなんですが、「2ドアハードトップ」を加え販売層を広げようとしていた訳です。ブルーバードものちに「2ドアハードトップ」を発売するんです!この戦いを「BC戦争」と呼んでいたようですね。

”B”はブルーバード、”C”はコロナなんです。

 

 

 さて私の所有していたモデルは「昭和57年式?」だったと記憶しています。当時を思い出しレビューを少し。

 このコロナは兄弟車がありました。それは「セリカとカリーナ」です。セリカは”2ドアクーペ1800GT-T”、と”3ドアリフトバック 1800GT-T”の2種。

カリーナは”4ドアセダン1800GT-T”です。なので内装はこの兄弟車ほぼ一緒です。インパネ周りは黒色で統一され形は”角”を基調とした男らしいデザイン。

メーター内に”ブースト計”ならぬ”ブーストランプ”が付いており、ターボが効き始めると「緑色のランプ」が点灯するようになっています。

 この時代は”パワーステアリング”車は珍しく、この個体もパワーステアリングがついていないため、極低速で動かす時は大変でしたね!ハンドリングは意外と重すぎず軽すぎないので狙ったラインに乗せやすかったです。

 シートはホールド重視ではなく、どちらかと言えば”高級系”に振られたデサイン。セリカはスポーツタイプのシートと違うんです。セリカの方がよりスポーティーの設定ですからやむなしですね。クラッチを繋ぎ走り出すと、比較的軽量な車体と相まって

加速はスムーズです。ですが、いったんターボが効き始める、パワーバンドにくると、いきなり性格がかわり”ドカン”とくる加速に!

これが一番楽しい瞬間でした!

 

CORONAハードトップのデザインは角基調で、どのクルマにも似ていない、独特なボディー形状をしています。特にリヤの「バックスタイル」がなんとも言えません。当時も今でもこの形状のリヤスタイルは出ていません。カッコ良かったでした!

 

 最後に

 

このクルマは色々と事情があり、所有した期間が短い期間でしたが、一番記憶に残っています。さすが昭和車、いい時代の産物とでも言うんでしょうか?(笑)もうお別れして結構な時間が過ぎてしまいましたもう一度会いたいな。

 

 

 

 

 

S15の鋭さ

 皆さんご機嫌いかがでしょうか?

 今日は”s15”こと「ニッサン シルビア」を書かせていただきたいと思います。

正直にいいますと「R32 GTS25」から少し心が離れてしまった時期がありました。俗にいう”浮気心”というものが芽生えてしまい(一瞬でしたが……)、よせばいいのにニッサンのディラーへ

 そう、そのディラーさんに佇んでいたのは「7代目 ニッサン シルビア supec.R」でした。その当時の情報源は”TVのCM”、自動車雑誌、口コミくらいしかないのでした。影響が絶大なのは”TVのCM”なので「スポーツ シルビア デビュー!!」とかTVで流れると気になって気になってつい観てしまうのでした!!

 クルマ好きならすぐわかると思うのですが、車体の幅が”5ナンバーサイズへ”変更になりました。それと顔立ちが”シャープな昆虫?”とも言うような精悍なデザインへと変わりました。S14型ではマイナーチェンジの前と後では極端に違うのでビックリしましたが……

 

 

また”CM”でも流れていたのが「スポーツ」の部分です。皆さんご存じかと思われますがここ2代前まで”シルビア”はデートカー”として設計製作されたので「今度はデートカーよりも”走り屋”に受けるドリフト族の為に製作したのかな?」と思ってしまうわけです。そう、このS15シルビア(spec.R)の内容は「ガチ走り」に振ってます。

中身を見ると「250馬力 6速MT FR駆動」です。排気量”2000cc”のエンジンはターボの加給を経て、前モデル”S14”よりもなんと”30馬力アップ”そのメカニズムを引き出す為、社外のメーカー「アイシン・エーアイ社」の6速のマニュアルミッションをあつらえています。

こんな”オーバースペック”デートカーには必要ないでしょう!(笑)

かなり走りを意識した装備です。内装には運転席側の柱には(Aピラーといいますね)ターボ車は「ブースト計」がNA車では「油圧計」が装備されています。しかもニッサンの純正品ですよ!いままでないことでした。(驚き!)

 

 

それでは「spec.R」の試乗時のレビューを…

 

 ドアを開け、黒色基調のシートに座ると程よい硬さとホールド性のよさに「思わず顔がにやけて」いました。デザインは”S13型”のような”美しい曲線使い”というより”操作の為に機能美に振った曲線”といったところ。女性ウケねらいでなく、完全男性ねらいですね。

 R32 GTS25と比べると(比べるものがマイナーですいません)ターボが搭載されている分高回転のパワーは段違いに凄いですね。しかも「ドカン」と加速するタイプでなく滑らかでパワフルでしかも低速も運転しやすいと非の打ち所がない出来。

ハンドリングは軽すぎず重すぎず、安定して「狙ったラインにのせられる」優等生。エンジンが4気筒で「R32型の6気筒」より幾分フロントが軽いのが効いているよう。

 6速ミッションはこの試乗が”初”でした。社外製のミッションには驚きました。いざ操作してみるとギヤがどこに入っているのかちゃんとわかるし、入りやすいのです。とても気持ち良かったです。

 外観は歴代「シルビア」の中でも”トップクラス”だと個人的には思います。特にボディーカラーが”濃いシルバー”の方が(スパークリングシルバーのほうですか)美しいボディーラインが表れていいですね!

 

 

 最後に

 

少しどころか、かなり”心を動かされてしまった”クルマでした。ただ、「ターボ」、「日産車特有のサビ」等を考慮した結果、結局買いませんでした。が、思い出はいまでも忘れられないままです。

脳内に”衝撃”という字を残したまま……

 

 

 

 

EK9の咆哮

 皆さんご機嫌いかがでしょうか?

 

 今日は”EK9”こと初代「ホンダ シビック タイプR」を書かせていただきたいと思います。

 まず、HONDA 党もしくは「イニシャル D」が好きなかたならホンダの真打登場といったところでしょうか。

 

 

”タイプR”といえば「エンジン屋のホンダ」の象徴ですね。5代目シビックの心臓は”B16B型”と呼ばれる1600ccのエンジンで、このユニットにはホンダの技術である”VTEC”が搭載されています。もともと、VTECは兄貴分である「二代目ホンダ 

インテグラ」から譲り受けたものです。十分インテグラで実績を積んで、シビックに受け継いだ代物です。しかも当時のインテグラの馬力よりも”25馬力ア ップ”してるんです。しかも同じ排気量、NA車でですよ!! 信じられます?

市販車でしかもNA車がそこまで馬力が上ってしまうのは「もうぶっ飛んでる」という思いしかなかったです。

 市販車だと”チューンアップ”しても数馬力しか上がらないのが定番でしたので、それが数十馬力上がるのはもはや”レーシングエンジン”レベル。レーシングエンジンだと「低速トルク」が犠牲になったり「パワーバンド」が極狭くなったりと一般公道では乗りにくいはず。そのはずが、「ホンダさんは難しいことをやってのけるんです」まるで化け物を作っているよう……

 

 

 

 後輩の「タイプR」に試乗できたのですが、その軽い車重と相まって「知らないうちにトップスピードに」なっていた状態でした。その車両重量なんですが、「二代目インテグラ」は1100kg、「シビックタイプR」は1090kgと(間違えてたらすみません)10kgしか違わないのです。それで25馬力アップは体感が違いました。
ハンドリングは素直という感じ。私は大概「FR車」を乗ってきたので正直「後輪が動かない」ことの方が”怖かった”です。この車はこのクルマなりの運転の仕方があるのだと思った次第です。

 シフトチェンジは感触が「硬め」ですが狙った所へ”すぱっと入る”もの。チタン製シフトノブが「ヤル気に」させます。内装はドアを開ければ「赤いレカロシート」が気分を上げてくれます。インパネに目を移せば8500回転からレッドゾーンでなんと10、000回転まで表示がされているのです。

 

 最後に

 

私もつくづく「幸せだな」と思った瞬間が「EK9に乗れた事」でした。

・高回転までエンジンを回した時の高揚感。

・ビビりながらも、「FF車」でコーナリングできたこと(めっちゃ不安でした)

・タイプRというホンダの純スポーツタイプに一度運転できたこと

 

 以上は、私のクルマオタク人生の中でかけがえのないものです。令和のこの時代、世の中は空前の「旧車需要」で旧車スポーツカーがすごい値段で取引されています。

状態の良いホンダのスポーツタイプ(VTEC搭載車)は当時の新車販売価格を上回っているようです。

買えませんよ高すぎちゃって……(笑)

 

 

 

 

二代目レガシィの完成度

 皆さんご機嫌いかがでしょうか?

 今回書かせていただくのは「スバル レガシィ(BD5型)セダン RS」です。(当初”レガシー”だと思い込んでいましたが”レガシィ”なんですね)

私が当初、気になっていたことがあります。「初代レガシィのCM」を初めて見た時でした。そこには、「10万キロ連続走行、世界速度記録達成」の文字が……

 これはもう記憶がないのですが、TV番組?(もしくはプロモーションビデオ)で発売前の「スバル レガシィの10万キロ耐久走行」のドキュメントをしていたのです。

その際走行平均速度223.345Km/hという国際記録を達成したのです。その記憶が残って(さすがオタクですね)初代が記録に残るくらいだから、「二代目はどんなのだろう」と気になってしまうのでした。

 「レガシィ」と言えば「ツーリングワゴン」と言うくらい「ワゴン車」が有名ですね。端正な佇まいで、尚且つ荷室に荷物が沢山はいる、カッコよさと実用性を兼ねているところがバカ売れの要因ですね。また、初代に比べフロントの顔つきが「コワモテ」に変わりもっと売れてしまったようですね。

 

 

 私が試乗できたのは「セダン RS」でした。この車はマイナーチェンジ後のモデルでしたので、1997年モデル位でしたか……

 

それでは試乗レヴューを書かせていただきます。このモデル(マイナーチェンジ後)、当時の馬力規制一杯の280馬力でした。私の当時「R32 GTS25」よりもパワフルなんです。とても”2000cc”とは思えない”もの”でした。

低速は”トルクフル”で乗りやすく、高回転は”豪快で頼もしい”味付け。それもそう、「シーケンシャル・ツインターボ」ですから。R32の「GTS-t」と比べてしまうのですが、こと、低速の発進加速はレガシーの方がパワフルでした。まあレガシィは4WDであったこともあるのですが……
 ハンドリングは「昔のメルセデスベンツ」のようなどっしりとしていて安定感がありました。たとえ高速走行になっても破綻なく走行する様は「R32を超えて」いました。完成度高かったですね!恐るべし!!

 マニュアル車だったのですが「シフトチェンジ」も申し分ない完成度。また「インプレッサ」のような”ガタ”や”グネグネ感”はありませんでした。同じメーカーで造られたのに違うのですかね?という疑問が湧きました。

 タイヤ&ホイールサイズは「215/45R17」でそこを支えるサスペンションが「ビルシュタイン」社のダンパーです。なんと量産車初採用だそうで、道理で「高速コーナー」が安定するわけですな~

 内装は「スバルらしく真面目」にデザインされています。

黒をベースにした落ち着きのあるインパネ周り、少し固めですが”いい感じ”のシートと相まって「大人のクルマ」感を醸し出しているようです。センスいいんですよ!

ボディーは”5ナンバーサイズ”で取り回しがしやすいサイズでした。セダンもワゴンもどちらもセンス良くかっこいいため悩みます。

 

 

 

 

 最後に

 

 最初に乗り込みスタートした際はすぐ「負けた」と感じた「一台」でした。R32と比べてしまう自分がいました。が、簡単に認めてしまうくらい「完成度が高い」クルマ

なんです。”スバルの本気度が見れるクルマ”とでも申しましょうか……所有している方は羨ましいですね。

また機会があれば是非乗ってみたい……です!

 

 

 

HONDA F-1撤退へ一言物申す

 今日は「HONDA  F-1撤退」の記事が目に留まり書かせていただきたいと思います。

いや~一ファンとして正直「がっかり」ですよ!悪く言えば「またか!」まであります。たしか最近調子が良く、この数年2~3勝はしてた記憶があります。そんなに言うほど「良くない」わけではなくむしろ上昇気流をつかんでいる状況でした。なのに……

 

 

昨年ですね、撤退のアナウンスがされたのは……

 

「~持続可能な社会を実現するために『2050年カーボンニュートラルの実現』を目指します。~今回、F-1への参戦を終了するという判断をしました。~」

昨年誕生した、菅政権が掲げた「2050年までに脱炭素社会を実現」するという政策に対応した形です。たしかに世界に展開している企業の「ホンダ技研工業」としては、生き残りをかけた闘いになるからというのも判らなくはないですが、それでいいのかな?もっとあがいてもいいのでは?と思うのです。

 

活動をせっかく数年前に(たしか2015年でしたか)再開したばかりでようやく成績も上向いたんですが……いきなり撤退ではなく以前のように「無限」に委託するですとか……方法はすくなからずあるわけで……もしくは「違う理由」があり(コロナ過で営業赤字とか)であれば前回と同じだと思うのです。だとすると厳しい言い方をすれば「同じことを繰り返すようであれば金輪際出ないほうがいい」と私は強く思います!

 

一ファンとしては「ずっと応援したい」のです!

厳しい世界で切磋琢磨している後ろ姿をみんなで応援したいのです!

成績は二の次でいいんです!

続けていることこそが尊いと思うのです!

 

感情的になってしまい申し訳ありません。ですが言わずにいられなかったのです。

第二期の撤退時は正直「泣きました」悔しくて……当時のウイリアムルノーにこてんぱんにやられていいところなく撤退していった姿は「見たくなかった」です。また今回もなのか?……という思いなのです。

 

ホンダさんの首脳陣の方へお願いがあります

 

 世の中「F-1」だけじゃないと思うのです。例えばいままで参戦してないジャンルに挑戦するですとか?そうですね~ラリー選手権なぞいかかでしょう?もっと垣根を下げたほうがより親しみやすく「ホンダ車」と接してゆけるのではないでしょうか?

ファンは一時的より継続を求めます。決して”規模”は関係ありません。草レースでもいいのです!なにとぞご検討宜しくお願い致します。もうホンダファンに寂しいニュースをもたらさないでくださいね!

 

 

 

 

 

 

 

ホンダビート(BEAT)とのひととき

  皆さんご機嫌いかがでしょうか?

 今日は、「ホンダ ビート」とのお話を書かせていただきたいと思います。

ホンダ ビートが発売されたのは、平成3年(1991年)5月世の中は俗に言う「バブル景気」が崩壊してしまった頃です。この頃のクルマ好き達の思いは「この状況でよく発売してくれた!」という(熱血なホンダ党の人が多かった……)人と、「バブル景気終わっちゃって、売れなくなるのでは?」と言う人の二つに分かれていました。

不安な事を考えていた人たちの意に反してなんと「5年間」も発売しています。総生産台数は33,892台。

 この車の概要は「軽2シーター、ミッドシップオープンスポーツカー」です。なので決して万人受けはしないクルマではあります。噂によると生産台数のほとんどがいまだ廃車にならず現存しているそう…… 愛されているんですね~

 そこで、愛される理由がしりたくなり調べてみることにしました。

すると出てきました。カリスマめいたお話が……

 

 

 1991年5月15日、その日にホンダ社内で発売発表会があったのですが、そこで創業者である本田宗一郎さんが最後に見届けた4輪車として語られています。本田宗一郎さんは同年8月にご逝去されました。クルマ好き、ホンダ車好きには「グッとくる」お話です。

 ちなみに日本人初のF-1ドライバー「中島 悟」さんが1991年7月28日、F-1ドイツGP終了後「引退発表会見」を行い、同年11月3日のF-1オーストラリアGPで引退されました。まさに”レジェンドの引退”です。そう特に「ホンダ党」には忘れない、忘れられない「年」に”誕生”したのです。ファンの記憶に”刺さる”クルマだったからこそ、現存する個体が多い→愛される理由なのかもしれません。

 

 このクルマ規格は「軽自動車」なのですが、中身がすごいんです。

まず、エンジンが車体の中央、ミッドシップレイアウトに置かれています。軽自動車、普通自動車どちらにもあまりみかけませんね。

また、このエンジンにあつらえられた吸気システム「MTREC」

*Multi Throttle Responsive Engine Control

によりNA車にもかかわらず馬力規制一杯の「64馬力」

もの出力が得られたのです。お金と技術がとんでもなく掛けられていたんです。

サスペンションが四輪独立懸架のストラット式。軽自動車初の四輪ディスクブレーキ、SRSエアバックなどなどこれまたお金がかかっています。なんと贅沢なクルマなのでしょうか。価格以上にお金かけてる感がありますね。

 

 

当時を思い出し試乗レビューを

 

 その日は「中古車を観たい」との友達の要望で近くの「ホンダ認定中古車店」へ

 そのガレージには黄色いカラーの「ホンダ ビート」がたたずんでいました。店員さんにお話しを聞いてみると、「プライスボード出ていませんが売り物ですよ。よかったらみてみますか?」との事。私たちはさぞ喜んだことか……

その個体は「ワンオーナー車」ですこぶる状態がよい物件でした。「よろしかったら試乗しますか?」との問いに即頷いたのは言うまでもありません。もう心臓がドキドキです❤

早速ドアを開け、「ゼブラ柄のシート」へ!

おお!なんともタイト、かつ低い!クルマに乗るというより「カート」か「バイク」に乗っている気分。思わず「これ、まんまバイクやん!」と叫んでいました。しかも顔がにやつきながら……

 クラッチを繋ぎスタートすると、いい音の割に加速がちょっと合ってないかな?と感じましたがでもNA車でよくここまでできたと関心します。

 ハンドリングは車速が上ると軽快!低速だとパワーステアリングがついていないため割と重いかな?でもミッドシップだからいいかなー

 シフトチェンジはたしか、しっかりしてて楽しかったです。トルクがないためシフトチェンジの回数は増えますが……でも面白かったでしたよ!

 

 

 最後に

 

 一時期ではありましたが、このクルマも所有自動車の候補の一つに挙がっていました。今でも中古車店に、たまに展示されているのを見かけます。思わず「見に行こうかな?」という衝動にかられます。絶対的な「速さ」でなく、気持ちよさ。有り余る力よりも、扱いきれる力を。そんな考え方が表されている車です。

 その「ビート」にも後継者ができ「s660」がそうなのですが、この機種も廃盤に……

どうか「ホンダ」さん!後継機種を!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

NAロードスターの煌き

 皆さんご機嫌いかがでしょうか?

 今日は「NA型ロードスター」について書かせていただきたいと思います。

当時のオープンカー(いろいろな定義がありますが……)は「NA型ロードスター」のようにレギュラー販売はしていませんでした。

たとえば、「トヨタ セリカコンバーチブル」はセリカのオープンボディーカーで派生モデルなのです。また、「ニッサン シルビアコンバーチブル」も、レギュラーモデルのシルビアの派生モデル。次に「マツダ RX-7カブリオレ」もレギュラーモデルのRX-7のオープンボディーカーで派生したモデルなのです。

 

 最初から「屋根がない」状態の車として発売されたのは「1970年 ホンダS800」(GOOGLE検索しらべ)以来なのだそうです。(間違えていたらご指摘ください)

 

 

 オープンカーと言うと車好きなら「ボディー剛性が弱くて…」と言うことが囁かれていました。「ボディー剛性」とは、例えばティッシュペーパーの空箱を準備してください。そのままだと前後につぶしてもつぶれにくいですが、広い面を取り払い先程と同じく前後に潰そうとするとすぐ「潰れてしまう」のです。これに似ています。この「ボディー剛性」が弱いと「車体がよじれる」ために主な弊害として「トラクション(路面の接地性が悪い」、「ハンドリングが悪い」等がでてきます。長期に渡ると「ドアの開閉、幌の開閉」にも影響がでそうですね。

 そこでマツダは「車体の剛性」を上げる為、シャーシの中央に「PPF」*パワープラントフォームの略を装備し対応しました。ミッションケースとデフケースをPPFで結合することで、車体の剛性と、ミッションからドライブシャフト、デフケースの駆動ロスをなくす事の二つの利点が生れたのでした。

 また、この「ユーノスロードスター」という車は「純スポーツカー」というか「純レーシングカー」のような発想で設計されています。部品の配置が全部中央重心に設計されていました。できるだけ重いものが「車体の中央」にあった方が、車体の運動性能が安定するのです。そう、発進加速、ブレーキ、ハンドリングに影響が出ます。

重いものは「できるだけ中央に」また、できるだけ「軽く」という発想を成し遂げているのです。今現在ここまでこだわって作っているメーカーさんは早々いません。しかもそれが30年以上前から初めていたことに、マツダ自動車さんの凄さが判ります。

 

 

 そこでようやく「試乗レビュー」を少々

 当時親戚が所有していました、「1600CCのVスペシャル」でした。

さっそくドアを開けシートに座ると「タン色でコーディネート」された落ち着いた雰囲気。インパネ周りは実に使いやすい距離にすべてが配置されています。こういうところもメーカーさんの底力かなと関心してしまう点です。唯一不満があるとすれば「シート」ですか……もう少し純正シートにホールド性があれば"満点”なんですが。

 比較的軽いクラッチを切ってギヤを繋ぐと軽い車体と相まって「スムーズに」加速していきます。また、ハンドリングは落ち着いていて狙ったラインに楽に載せられる感じ。シフトチェンジはクラッチは案外軽く、またギヤが入りやすくどのギヤに入っているのかわかりやすい。全体的にキビキビ走るし感覚的に気持ちいいのでした。

 幌を開けて走行すると、意外と風を巻き込まない「設計」がされているようでとてもGOOD! 黙っているといつまでも乗っていたい衝動にかられます。

また、この車に一度乗ってしまうと、車両重量が重くバランスが悪い車は「かんべん」となってしまいますわ……

 

特に「軽さは武器」になることを知った次第でした。

 

 

 最後に

 

 この車も(いや、NB型か)所有したい願望にかられた車でしたね。いまだ、「夢」になっていますがいつの日か叶えたい夢です。1989年に発売され代替わりしながらも、未だに「ロードスター」が発売されているのは驚きです。32年もの間、変わらず愛され続けているのをみると「日本人はわかってる」と思うし羨ましくあります。そんな素晴らしくできたクルマを買えるのですから……

わたしの場合いつ成就するかわかりませんが「添い遂げられるように思い続けて」いきたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

GC8(初代インプレッサ)の衝撃

 皆さんご機嫌いかがでしょうか?

 今日は、GC8こと”スバル インプレッサ”のことを書かせていただきたいと思います。

 まず、この時代までの「スポーツAWD車」のジャンルは、「スバル レオーネ」から始まり「トヨタ セリカGT-FOUR」、「ミツビシ ギャランVR-4」、「ミツビシ ランサー」、「スバル レガシー」、「ニッサン スカイライン」、「ミツビシ エクリプス」、「ミツビシ GTO」と発展していきます。

 こう順番に並べると目立つのが「三菱」ですね!そもそも、「三菱」は悪路に強い「Jeep」を販売していたからなんです。

 また、時系列順(発売順)に並べてみますと「景気が良くなるにつれ」”AWD車”が増えている事に気付くのです。

 次に目を引くのが「スバル勢」です。「レオーネ」に始まり代替わりして「レガシィ」へ、そして「インプレッサ」へと「AWD魂」は繋がっていきます。

因みに「スバル レオーネ」の4WD化は「東北電力さん」が絡んでいたのご存じでしたか?私は今日検索してて初めて知りました。(ショック⤵)知らなかった!

 思い出してみると、この当時「レオーネをみかける」度合が多かったですね。オヤジ達の会話に「やっぱり冬は4WDには勝てねえな~」と言うのを頻繁に聞いてました。

近所でも「スバル レオーネ」が誇らしげに止めてあったのを思いだしました。

 

 オタクネタなんですが、漫画「よろしくメカドック」に登場する「グ レーサーZ(日産フェアレディZの改造車)」はこの「スバル レオーネ」を元に”AWD化”して出来たんです。レオーネのAWDができなければこのお話もできなかったのです!レオーネ偉大なり!

 

 

 それではお話を「GC8インプレッサ」に移していきしょう。

 

GC8に初めて乗せていただいた時は「先輩の車」でした。たしか「スポーツワゴンWRX」だから「GF8」になるのかな?

助手席に乗せてもらおうと「ドア」を開けると、そこには「スパルタンな内装」とパリパリタイトな「スポーツシート」でした。ワゴンといえど「スポーツ」しているんです!こんなワゴン車かつて見た事ありませんでしたから驚きと同時に”カッコいい”とも思いました。スポーツシートは正に固めの本格派です!

 

 早速シートベルトを締め同乗となりました。エンジン音が低速から「ドクドク」と脈を打つように鼓動します。スバルの名機「EJエンジン」が奏でる排気音です。独特な排気音ですよね。エンジンを高回転まで回してもらうと「突然背中を押さえつけられたような」”G"がきて突進していく……といった感じでした。恐るべしインプレッサ

 室内をよく見渡すと「タイト感漂う黒」でまとわれており操作系では、太くて握りやすいMOMO製ハンドル、スポーツタイプのシート、後ろのシートに関してははお世辞にも広くはなく狭いです。

室内の中で一番の危惧は「マニュアルミッションのシフトレバー」です。運転したことがあるのですが、「ガラスのミッション」と呼ばれるほど「弱い」です。入りずらい、グラつきがある(ユルユル?ガタガタ?)んです。スバルさんへ!これが一番重要ではないかな?と思うのですがいかがですか……マニュアル車の醍醐味はシフトチェンジ時気持ちよく「一回で入る事」、「ストレスなくギヤが入る事」だと思うのでした。それは阻害しないでほしいです。これがなければ「インプレッサ買ってたかも……」

 

 

ハンドリングは「カミソリ」のように瞬時に向きを変えられるイメージでしたね!同じ280馬力の「R32 GT-R」と比べ車重が”約160kg”違うから車体を振り回せられるのです。面白いですよ!!かの、土屋圭市さんが発売当時絶賛していたのはうなずけます。

 

 最後に

 

 同じAWD車でもR32は「ツーリングカー選手権」へ出場。オンロード(舗装路)で戦い、GC8は「WRC 世界ラリー選手権」へ出場し戦っていたのにはとても興味深いのです。

 ですが、どちらも活躍し優勝しているのはひとえに「made in Japan」だからなのでしょうね!本音を言うとインプレッサ特有の「ガラスのミッション」がなければ「購入」してたブランドですね。でも、この車体にも「出会えてよかった」です。未だに「軽快なハンドリングと圧倒的加速感」は何物にも代えがたい。私を本気にさせ、衝撃を受けた機体の一台でした!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アルバイトの経験から

 皆さんご機嫌いかがでしょうか?

 

 今日は、アルバイトの経験談を書きたいと思います。

私が”アルバイト”を始めたきっかけは、単純に「お金がほしい」、「就職活動する前に社会を知りたい」思いがありました。また、「将来、親から自立していかなければヤバいかも……」との思いがあったからなのです。ま、単純に家が貧乏だったからそういう考えもありましたから。

 この時期を回想してみると世の中もうすぐ「春休み」なんですね~

学生さん達は「遊びに行きたいけどお金がない」状態とお見受けしました。

 

そうなんです!

 

春の陽気で暖かいし、お天気も比較的安定している、空いている時間がそこそこある……だけれど軍資金が無い……

 

そう、そこなんですね。ある程度の年齢に達すると「お金」を必要としてくる、調達しようとする、そういう行動が芽生えてくるんですね~明らかに「大人的行動」だと解釈できるのです。それまで親に「せびって」お小遣いを貰っていたのに、お金が足らない……とアルバイトしようとするわけですから!

あなたは進化してるのですよ。偉いと思います!

 

そこで私の経験談と、思ったことを……

 

私の最初のアルバイトは高校生時代の「郵便配達」でした。そう、「年賀状の配達」でした。当時アルバイトをしてる子は、「中学生から新聞配達」をしてましたね。

 私は、早起きが苦手でしたので新聞配達の勧誘は丁寧にお断りし、「郵便配達」にしました。かれこれかなりの年数が経ってしまい詳細については記憶がないのですが……

自分の住んでいる地域に近いところを担当地域にしてもらい地図を片手に持ち郵便局の赤い自転車を借りていざ出陣!!今と違い、個人情報規制法がなかった時代でしたから、住所が判らない時は近所の方に聞くと教えてくれたので仕事はやりやすかったですね。

 冬のある日、アルバイト中「赤い自転車」が壊れて郵便局の方に迎えにきていただいた事もありました。今となってはいい思い出です。

 

このアルバイトで学んだことは、ズバリ「働いて稼ぐことは大変だ」という事でした。当たり前かもしれませんが、数十件回って自転車使って(寒さをこらえ筋肉痛になりながら)配達して時給「OOO円」は安すぎるとか思いました。

 

次に始めたアルバイトは「お惣菜販売」です。

スーパーマーケットにテナントで入っている「お総菜屋」さんでした。

対面販売でお客さんのほしいグラム数で量り売りする、いわば「売り子」でした。

ここで学んだことは「接客のしかた、目上の方への接し方」が勉強になりました。

最初は物怖じしてしまい、笑顔がでなかったのですが、慣れるにつれ「笑顔でお客様とやりとり」できるようになりました。自分では恐ろしい進歩でした。

 

 引っ込み思案な奴だったのに、やればできるものなんですね~お金からむと……

 

また、アルバイト先では年上の人しかいませんので、自然と敬語を使ったり、持ち上げ?よいしょネタを入れたり。

同級生には決してやらないトークです。生きていくのは大変なんです。生きていくことの術を勉強になりました。

 

 

 最後に

 

アルバイトをしてみた感想、思った事を書きます。

全然アルバイトをしないで「社会に巣立つ」より「アルバイト経験」があった方がいいと思いました。自分の進路決定(私は違いました)に直結するという事です。

アルバイトを選ぶのに自分が苦手な分野には決して行かない、選ばないのです。

 

本当です!

 

因みに頭の中でシミュレーションしてみてください。これを自分の進路だったら……その選び方が進路決定への考え方です。「自分に合いそう」、「この業種のここが苦手」、「時給(月給)が高くないと……」とかいろいろ浮びますね!

 

進路に悩んでいる方はアルバイトしてみましょう!!

 

アルバイト経験のある方へ

 

いかがですか?アルバイト大変でしょう?これは現実なのです。全国の平均時給が「902円」なんです。一時間働いて「902円」なのです。一日働いて(8時間労働、1時間休憩)ですと902円×8時間=7216円しか得られないのです。

 

そこで提案なのです。

 

いまのご時世早々お給料は上がって行きません。なので自分に合う副業をかんがえておく。また、スポーツ専攻している方は「第二の人生」を考えておきましょう。(ちょっと早すぎましたか?)それには経験です。経験は財産です。何らかの形でも絶対後に役に立ちますよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東日本大震災からはや10年

 本日は3月11日、未曾有の東日本大震災から10年

 

 いまだに思い出します……

午後2時46分突然横揺れがし始め、その揺れは縦揺れも伴いながら徐々に激しくなっていきました……

 

私は生きながらえて無事ですが私の同級生が、何名か未だに「行方不明」なんです。

同級生のご家族のことを思うと、いたたまれない気持ちになります。10年たった今だったら孫に囲まれ「若おじいちゃん、若おばあちゃん」と呼ばれる”奴”もいただろうに……

 

 震災から10年で「ご遺体」が見つかったニュースが報道され、安堵と「行方不明の同級生」だろうかと考えてしう自分がいました。

10年経ちましたが、未だに癒えない心の傷と、切なくなる思い、震災の衝撃、は残ったままです。

 

けっして忘れることはできないし、忘れないでしょう……

 

ですが、少しづつ心の傷が癒えますように……

 

亡くなられた方々にお悔やみを申し上げ哀悼の意を表します

 

 

行方不明の同級生へ

 

「未だに俺達心配してんだからな!早く帰ってこいよ!」

 

R32(GTS)との蜜月時代

 皆さんご機嫌いかがでしょうか?

 今日はR32こと「8代目ニッサン スカイライン」について書かせていただきたいと思います。R32と言えばそう、「”伝説のGT-R”が復活」したモデルです。

 当時の全日本ツーリングカー選手権の「グループA」レースで勝利するため、出場規格に合わせこんで造られたモデルでした。デビュー戦(1990年)はなんと、二位以下のライバル車を周回遅れにしてしまい、ぶっちぎりの優勝!!ライバルは「フォード シエラ」でした。それまで苦戦していた「R31 スカイラインGTS-R」からモデルチェンジし、R32型を投入して見事に勝利することが出来たのです。それから、このレースが開催を終了するまでのレースを勝ちまくり、なんと26勝(4年間で)も上げる快挙を達成したのです。

 

 

 ここからは、華々しい栄光の「GT-R」ではなく本題の「スカイラインGTS」について書いていきたいと思います。

私が所有していた「スカイライン」は、グレードで言いますと「クーペGTS25タイプS」です。いわゆる後期型です。珍しく「5速マニュアル車」でした。なぜ、このグレードにしたのか疑問に思われる読者の方が多いと思います。

 たいがいの「スカイライン乗り」の方は「ターボ車」をチョイスする為、私のような「NA車」好きが選ぶ車ではないでしょう。ですが、このグレードかなりいいんですよ。ターボ車でないので”高回転”のパワーこそないものの低回転から力強い加速が得られます。排気音は、「低回転時で野太く、高回転時でかん高い」優等生。高回転まできっちり扱いきれるエンジンでした。排気量が2500ccで低速のトルクがあり、その上車重が軽いので、当時の「スバル インプレッサ」についていけました。ガソリンは「ハイオクガソリン指定」でしたが以外に(マニュアル車でしたし)燃費が良かったのを覚えています。たしかリッターあたり約10Kmでしたか……

 

ちなみに他のグレードをレビューします。

 

 メインで売れた「GTS-TタイプM」は2000㏄のターボ車です。当時は0~400(ゼロヨン)が「マツダ RX-7」通称”FC型”より速かったと聞きました。

運転してみてですが、低速はスカスカ、高回転で炸裂する感じでした。でも「ドカンとくるような衝撃ではなかった」です。ハンドリングは「R31型」よりキビキビ走るので面白く楽しい車でした。

 

 いいとこどりの「GTS-4」ですが、パワーに対して車重が重い(GTS-tタイプM比約+80kg)です。この車は「GT-R」同様4WD車なんです。なので+80kg

(タイプM比)の重量なんです。出足の加速感はどちらかといえば”どっしり”した印象でした。

 

 

 一番の廉価グレード「GTS」は排気量が2000㏄のNA車です。パワーが150psしかないためイマイチ「低速ではトルクが、高回転ではもっとパンチが」欲しくなりました。

 

 最高グレード「GT-R」ですが、さすがに加速は物凄いものがありました。が唯一の弱点は「ブレーキ」です。そのすさまじい加速と重い車重の為、ブレーキには厳しいです。ある意味怖いですね。止まりにくいのは……この車は4WD車(ときどき4WD)なので不意に空転するタイヤが出ても、残りのタイヤがグリップするので安心感、安定感が得られる優れものです。

私の話に戻ります。

この車(GTS25タイプS)は中古車でした。約半年かけて探し出し、みつけて手に入れました。やはり好きで買った為、毎週のように休日は「洗車」、「ドライブ」と駆け巡りました。そのせいで「独身時代が長かった」ですね。(笑)お金が貯まれば「チューニング」に走り、すぐ「金欠」に逆戻り。ボディーがサビてくれば直し直し乗り、タイヤが減ってきたと思ったら「タイヤカタログ」とにらめっこ。

 

本当に「GTS25」と共に過ごした日々は楽しかった……楽しかったです!ありがとう!

 

 この車があったこそ「辛い事も悲しい事」も乗り越えられた……癒しや、潤いがそこにたしかに「ありました!」

そんなに苦楽を共にし愛情を注いできたのですが、「病」にかかってしまうのです。そう「サビ」という「ガン」に侵されてしまい、治ることはありませんでした。「治して」も「治して」もサビは広がるばかり。

約8年も蜜月関係が続きましたがお別れすることとなったのです。

  今でも時折思い出すことがあります。今では楽して「オートマ車」に乗ってますが、「あの当時はちょっと”重めのクラッチ”蹴っていたっけ」と……

 

 

最後に

 

本日はR32について書かせていただきました。いまだに「思い出す最高のパートナー」でした。これを越えられるのは「BMW」だけでしょう。(おそらく)NA車でFRの車がありませんからね……さびしいのです。もっと国産車がんばって!!!

それから今回投稿回数「101回」と100回を超えることができました。これもひとえに読者の皆様のお陰です。

 

ありがとうございます!!

 

200回、300回とがんばっていこうと思いますので、引き続き読んでいただければありがたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

S13(シルビア、180SX)との記憶

 皆さんご機嫌いかがでしょうか?

 

 自称”クルマオタク”の”ピンクスナップ”です。

今日は、S13(シルビア、180SX)との記憶と題して書かせていただきたいと思います。この車たちを見かけるたびに、私達「オジサン世代」は”胸が熱くなる”思いが込み上げてくる事と思います。青春真っただ中でしたから。

 

 この当時と言えば、そう「バブル景気」でした。この時代、いい車が【ステータス】であり、(今でいうと”マウントを取れる)男性の「ナンパ用の最高の武器」でした。そういった時代の背景があり高級車が【特に有名どころが】バカ売れしていたのです。

 

 国産車に目を移すと特に「日産車」が一番元気よく、大げさに言えば「新車で出せば必ず売れる」くらい売れていました。日産車のデザインはかっこよくて良かったでしたから。その中で日産は、ホンダのデートカー【ホンダ プレリュード】を駆逐せんと世に送り込んだのが「S13型シルビア」だったそうです!

*プレリュードはその美しいシルエットデザインの為女子ウケよろしく、バカ売れしていたのです。

 

S13(シルビア)が販売されたのは昭和63年(1988年)の5月に世に出ました。

*180SXは(1989年5月)発売

 

 市場の反応は?といいますと「前型(S12型)より垢抜けてかっこいい」、「内装がインテリアみたいでおしゃれ」等などデートカーとしては「上々の出来」でしたが、

その外装のみならず”スペック”に注目したのが「走り屋」さんでした。

排気量が1800㏄(マイナーチェンジ時2000㏄にエンジン変更)、車両重量が1120kg(S12型より約20kg軽量)、この時代希少な後輪駆動(FR車)なので、要は「ドリフトができる」、「AE86後継者」と話題になり「走り屋」さんたちの♡をわし掴みしたのでした!

 当時「走り屋御用達」車は「AE86,AW11、KP61」等のトヨタ車、「CR-X,シビック」等のホンダ車、「ランサー」の三菱車でしたか。この車種に最新の「S13」が加わるわけです。

 

 しかも飛び切りの”美人が!!”

 

記憶の断片でしかありませんが当時のレビューを少々

 

 外観は曲面を上手く使ったシンプルで美しいシルエット。ここまで美しいと思う国産車はそうそうなかったです。令和になった現在でも……

それでも初代シルビアがモチーフだそうで……

このお話は後に知ったのですが、ドアのピラーの造形は「初代」に「似ている」んですね~是非比べてみてください。ほんまに知りませんでした!

 

 内装に目を移すと、造形が曲線で、包みこまれる感覚なのです。内装の生地も”落ち着いたグレー”とレザーパッケージ(オプション)の黒内装の二種類があり、どちらも似合っていました。この辺りはさすが、「デートカー」としてでてきた面目躍如といったところです。たしか、「GOODデザイン賞受賞車」です。さすがですね

 

 ハンドリングというと、比較的軽量な部類に位置し(俗にいうライトウェイト)思ったラインに乗せやすいです。

キビキビとした感じが楽しめました。

 加速感は、ターボ車の場合ですが、「いつの間にかトップスピードに載っていた」感です。ターボの効き具合が少し抑えられいたようでエンジンの回転数を上げても”ドカンとくる”感じではなかったですね。これも「デートカー」の設定だからなのでしょうか……そういった部分も「走り屋」さんの「カスタム、チューニング」対象になったのでしょう、パーツはかなり出てましたからね~

 

 NA車は、「運転しやすい」、「ドライブを楽しむ」事がメインで調整されていたように思います。エンジンの回転数が滑らかに上がっていく感覚です。1800㏄車はもう少しpowerがほしいところでした。そういったことから、マイナーチェンジ時「SR型2000㏄エンジン」に変更されたようです。

 

この当時の噂話をひとつ……

 

純正タイヤ&ホイールサイズが15インチなのですがインチアップして”2インチアップ(17インチ)”しちゃうとシャーシに「クラック(ひび)が入る」ようでした……
怖いですね~

 

最後に

 

 S13型は「友達」、「弟」も乗っていたんです。先輩もでした。

所有していませんでしたが(購入検討したこと何度かあります)身近に感じられて思い出がある一台でした。ただ、欠点とすれば、”雪国特有”の日産車ゆえの「サビやすい」ことくらいです。車体がボロボロになっていくのは嫌ですね~

最近はすっかり見かけなくなりました。眺めるだけでもいいんですが……

もう一度出会いたいです!美しいシルビアに

 

 

TOYOTA SUPURA(初代A70型)の思い出

  皆さんご機嫌いかがでしょうか?

 

 今日は、トヨタ スープラ(初代)A70型との思い出を書かせていただきます。実はと言いますか、正確にいえばその前の「トヨタ セリカXX」のアメリカ輸出向けの名称が「スープラ」だったのです。

セリカXX”の”XX”の部分がいけなかった(国によってありますよね~)ようで、そのセリカXXに変わる物として「スープラ」という名称が入ったのです。「supura」とは「上に、前に」という意味です。「セリカスープラ」と出ていました。

*ちなみに「タミヤ プラスチックモデル」で「サーキットのマーシャルカー」として

 キット化されてました

 

 セリカのモデルチェンジに伴い「トヨタ スープラ」としてデビューしました。ちなみに「FF車、4WD車、2000㏄」がセリカ、「FR車、2000~3000㏄」が

スープラと役割が変わったのです。メーカーとしては、手頃な価格のスポーツカーですが、「FF車だと余計なコスト『部品』がかからないので安価で出せる。また、より上級な「スポーツカーがほしい」顧客に出せるモデルも欲しいと言う訳で、二つの戦略を取ったのです。スープラはFR車の為、よりコストがかかります。なので上級志向に販路を傾けたのです。

 

 

 さて、「トヨタ スープラ」ですが当時は所有していた訳でなく借りて運転させていただきました。グレードは「2000GT」と最終マイナーチェンジ後の「2500GTツインターボ」です。「2000GT」はNAでした。

 当時の記憶をたどると、「2000GT」も「ツインターボ」もハンドリングに重みがあり「どっしり感」がありました。やはりツアラー系と言ったほうが納得いきます。アメリカの広大な景色を観ながら疾走する感じが似合います。

 車体の加速感の方は「2000GT」はターボがないため、ゆっくり。「ツインターボ」は結構な加速感でしたね。

ツインターボの設定が比較的穏やかなので知らぬ間に「結構な」スピードになっていた感じでした。

 シフトはどちらも「5MT」でした。これはスープラの特徴ですが、シフトチェンジをするのにたしか、シフトパターンが左に寄っていたのを記憶してます。慣れれば問題ないのですが……シフトする際も少し”渋い”気がします。

 外観は「ロングノーズ」、「リトラクタブルヘッドライト」、「ハッチバック」でとにかくカッコよいです!!

 内装はどちらも「ゴージャス」です。さすが「上級スポーツカー」ですね。特にシートが体に合うといいますか馴染むといいますか……ドライビングポジションを自分好みに変えられる「ハンドルチルト、スライド」機構付きで不満はないです。ただ、スポーツカーの為後部座席が狭いです。5人乗用ではありますが実質2人乗りですかね。なんと贅沢なことか。

 

 知っていますか?この車「トランクルーム」がとても”広い”のです。因みに、エアロトップというグレードは、”屋根が取り外し可能”なので、取外した屋根がこのトランクルームに収まるのでした。この辺りの思想が”スポーツというよりグランドツアラーだと思っています。二人で「小旅行」に行くのには荷物が結構入るのでいいと思います。ただ「リヤ」が軽い為、雪国の冬の道路はキツイでしょうね~ トラクションかかるのかいな?車高も低いですしね……

 

 

 

最後に

 

 いまでは完全に見かけられなくなった「形」です。シンプルなんですがなぜか引き込まれるんですよーこのカッコ良さはいまだ健在です!!

 個人的に「MT」より「AT」のほうがこの車には似合うのかな?と感じます。私に似合うか似合わないかといえば、正直”似合わない”かもしれませんがまた乗りたい車です。また出会えるといいな!スープラ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

AE86(カローラレビン)の思い出

 皆さんご機嫌いかがでしょうか?

 

 自称クルマオタク”ピンクスナップ”です!!

今日は、車好きだったら知っている「AE86」(カローラレビン)とのお話を書いていこうと思います。

 

 「AE86」とは”自動車の型式”のことで、この場合4代目のカローラレビン、スプリンタートレノ(この二台は兄弟車)の事なんです。この二台は同じ車体の型式なんです。

ちなみに車種のグレードによって少し変わります。2ドアの型式は「E-AE86-FSMVF」となり間に「AE86]と入っていますね!

そう、その「AE86」がみんなの”愛称”となった訳です。

*「AE85」とは、エンジンが違い「1.5リットルSOHCエンジン」が載っています。

 

発売当時から「最後の」”トヨタライトウェイトFR”としてでてきました。

 次のモデルは”FF車”で販売か?と噂されていた(たしか?)のもあり中古車は値が下がらなかった印象がありました。(実際高くて買えませんでしたね)実際にセダンは”FF車”に移行していましたからね。その後は、漫画「イニシャルD」の人気があり、再度中古車市場が「高値」に湧きました。”藤原拓海”仕様が人気です。

恐るべし!!

 

 

私の思い出です……

 

 この当時私はある職業に就いていました。その時の先輩が「現場まで運転していってくれ」と言われて度々先輩の代わりに運転しました。

 因みにこの「AE86」の詳細は……

たしか、昭和61年式?か、62年式カローラレビンの2ドアクーペ、ボディー色は「白黒の2トーンカラー」

グレードは「GT APEX」でしたか。先輩仕様として”14インチ”の「ワタナベ」のホイールを装着してました。

 

乗り味は……

今でも思い出しますが「当時のトヨタ車」しかも

車体が軽い(約920kgですか!!)こと!!

ハンドリングは切りたいように切れると言えばいいのでしょうか……もう狙ったように切れた印象です。

また、エンジンが軽く軽快に吹けるんです。黙って加速して行くと「警告音」が鳴る始末……さらに5速マニュアルで軽いタッチでシフトチェンジ出来ていました。シフトミスはほとんどしなかった記憶がありますね。気持ちよくシフトチェンジできました。

 シートに関してはこの当時トヨタ車特有の形のスポーツタイプでそこそこホールドできていました。(たしか材質は”合皮のレザー”)一応5人乗りですが、後部座席の方が異様に狭いので「長時間の乗車はきつい」と思います。二人乗りが一番ですね。

 

 内装は「角ばった」形です。デザインは悪くなく(当時のトヨタ車です)シンプルにまとまっていますね。流石です。当時の純正ホイールサイズは「13インチ」、GT-Vのグレードでようやく14インチなので、15インチにサイズアップしようものなら「軽快感と加速感」が薄れていたと思います。タイヤもようやく「50%、55%扁平」が出てきたばかりでしたから。

 

 

最後に

 

 この車は有名なプロドライバーがドライビングの練習に使用していたようです。有名な方と言うと「土屋圭市さん」、「織戸学さん」とか……実はこの車自在に「ドリフト」させるのちょっとコツがいると思いますよ。誰かが言っていたのですが「センター重心」の為にドリフトにもっていくのは「コツがいる」と……重量配分の比率がフロント「53」、リヤ「47」なんです。意外とセンター寄りなんです。

*たいがいの”FR車”は前に「エンジン」があるので「60対40」位になってしまうのでフロントが重いのです

 

だからこそ「運転技術を磨く」のに適しているのですね。自由に乗りこなせるとそこに「一体感が生れる」し……

 

自分が運転していても「上手くなったような」、「もっと上手くなりたい」思いがあった、思いが詰まったクルマでした。いい時代でした。本当に楽しかったありがとう、

AE86!!」