子育てを振り返って~vol.5

「退院となりましたが……」

 

 前回の続きになります。退院となりしばらくは通院となりました。ですが、数日過ぎて事件が起きたのです……

 

 子供の顔が真っ青になり泡を吹き、硬直状態になったそうで(子供をみてたのは妻でした)大急ぎで救急車で入院していた大きな病院まで救急搬送してもらったのでした。

 

幸い大事にはいたらず、取りあえず病院で異常がないか確認していただいたそうです。その頃私は仕事中で何も知らず、ようやく仕事が終わり帰る時に携帯電話の着信履歴で知ることとなるのでした。急ぎ妻に電話してことの顛末を知り、急いで救急搬送された病院へ……

 

 診察が終わり、子供は大丈夫だったので妻は私が迎えに来るのを待っていました。

私が迎えにきた時は妻は安堵して泣いていました。自宅へ帰る車の中では救急搬送された経過と今後の課題の話をしながら帰りました。

 

 夫婦共々肝を冷やした一日でしたが、今後の子育てにおいて非常に重大な事件になったのです。

 

 その後夫婦で話し合った課題というのは……

 

・救急搬送されても診ていただいた病院までかかった時間が40分以上だったこと

・将来なにか救急搬送された場合、すぐ近くに大きな病院がなく不安

・通院してもかなりの距離があること

・大きな病院だから待つ時間も長いこと

 

だったと思います。自宅は田舎にあるので医療に関しては都市部より脆弱ではあります。

やはり、妻は1度入院し大病を患った子供が心配で心配でたまらなかったようです。

あの当時振り返ると、事あるごとにかなり話し合ったことを思い出します。

 そこで私は、私達家族は、ある決断をすることにしたのです。

 

・実家を離れ、大きな病院の近くに住むこと

 

でした。

 色々な事情があり割愛させていただきますが私の両親とも話し合い納得してもらい引っ越すことにしました。通院した際、主治医の先生に今回のことを相談したところ、自宅に少し近いところの協力病院を紹介していただきました。本当に有難いことでした。

無理を聞いていただいた先生には有難く思いました。この場を借りて感謝申し上げます。

 

 

最後に

 

  この当時は退院しても子育てに不安がつきまとっていました。「子供に何かあったときどうしよう、どうなってしまうのだろう」と……私は家長として二人を守らないといけません。必然の決断だったと思います。二人が幸せならば、私はそれだけでいいですから。家族として再出発した時期です。まだ子育ては肉体的に大変な時期でした。

「誕生から乳児編」だけで結構長くなってしまいました。でも、これが我が家の歴史でもあるのです。こういった経緯があり、我が家では「子供が家族の中心、最優先」となった理由なのです。

大変申し訳ありませんがまだ続きます。お付き合いいただければ幸いです。