児童クラブでのおもいで

 皆さんご機嫌いかがでしょうか?

 今日は、「児童クラブでのおもいで」ということで書かせていただきます。

 実は「児童クラブ」は比較的歴史が浅い(若い)のです。たしか……40年前くらい前でしょうか?(すみません記憶がなくて)発足したといいますか、原形ができたといいますか……最初は、共働き、核家族時代で小学生が(特に低学年)放課後に、「家に帰っても誰もいない」ので預かる場所?と預かる人ができたようです。児童の数は恐らく「数人」ではないでしょうか?その当時は今でいう「支援員」の先生ではなく、「困っている保護者」の方同士で児童をみていたのです。

 

*苦労されたお話を少々

・人数が増え、児童の遊ぶスペースがなくなり「やむなく」会 費を徴収し部屋を借り

 て保護者が交代でみていた

・徴収した会費で運営することが難しくなり解散することに

・保護者が交代でみていたが、仕事でみられなくなり運営が厳しくなる

・預ける施設(部屋)がなかなか無い

 

 それが、保護者の方々の力でようやく「国」を動かし、”放課後児童クラブ”を全国の自治体に認めてもらい全国の統一基準を作るということで「条例を施行」していったのです。要は安倍前首相がかかげた「一億総活躍」プランですか?世の保護者は共働き、核家族で「子供」を預けないと”働きにいけない”のです。働きにいけない障害をとりはらわなければ「一億総活躍」などできるわけがないのです。

 そういった事情があり”放課後児童クラブ”から”児童クラブ”へと変更されたわけです。

 

 すみません話が長くなりました。なので、未だに「児童クラブ」がどういった団体なのか知らない人が多いのですね。それでは、「本題」の方に話は戻ります。

 

 私の子供が通っていた「児童クラブ」は今年で創立18年です。うちの子供は「人見知り」する方で特に支援員の先生に色々お世話になりました。低学年時は、同級生にいじられ、いじめられ「学校も児童クラブもいきたくない」と言い始めてしまいました。この時は「親として一番辛かった」時期でした。

実際、本当に困り果ててしまい、何度相談に「学校」と「児童クラブ」に足を運んだことか……

 

 そこで事態を好転させてくれたのがある「支援員」の先生だったのです。学校の先生ですら解決できなかったことが「支援員」の先生により解決していただいたことでいつか「恩返し」しようと思っておりました。

 

 子供が「3年生」になったころ、「児童クラブ」の役員決めがありました。やはりというか、なんというか保護者会会長がなかなか決まらなかったので「私」がすることに申し出いたしました。会長職では色々「支援員」の先生方に迷惑をかけてしまい申し訳なく思います。いろいろと私なりによかれと思い色々な事案を「変更」させていただいたのです。それが現在どうなっているのかいまでも気になるのですが……

 保護者の方と役員の方をまとめ、尚且つ「支援員」の先生方をサポートするのは大変ではありましたが、やっていくうちに「一体感」が生れ、次第に声を掛け合う仲になっていったのです。その「一体感」といったら何と言って表したら良いのか……PTA役員では得られなかった充実感で一杯でした。

 この場を借りて「支援員」の先生方と当時の保護者、役員の方にお礼の言葉を述べさせていただきたいと思います。

 

「子供の問題を解決していただき本当にありがとうございました。また、頼りない会長でありました迷惑をおかけし申し訳ありません。ですが、私も子供もとても幸せでした。本当にお世話になりました。ありがとうございました!」