ホンダビート(BEAT)とのひととき

  皆さんご機嫌いかがでしょうか?

 今日は、「ホンダ ビート」とのお話を書かせていただきたいと思います。

ホンダ ビートが発売されたのは、平成3年(1991年)5月世の中は俗に言う「バブル景気」が崩壊してしまった頃です。この頃のクルマ好き達の思いは「この状況でよく発売してくれた!」という(熱血なホンダ党の人が多かった……)人と、「バブル景気終わっちゃって、売れなくなるのでは?」と言う人の二つに分かれていました。

不安な事を考えていた人たちの意に反してなんと「5年間」も発売しています。総生産台数は33,892台。

 この車の概要は「軽2シーター、ミッドシップオープンスポーツカー」です。なので決して万人受けはしないクルマではあります。噂によると生産台数のほとんどがいまだ廃車にならず現存しているそう…… 愛されているんですね~

 そこで、愛される理由がしりたくなり調べてみることにしました。

すると出てきました。カリスマめいたお話が……

 

 

 1991年5月15日、その日にホンダ社内で発売発表会があったのですが、そこで創業者である本田宗一郎さんが最後に見届けた4輪車として語られています。本田宗一郎さんは同年8月にご逝去されました。クルマ好き、ホンダ車好きには「グッとくる」お話です。

 ちなみに日本人初のF-1ドライバー「中島 悟」さんが1991年7月28日、F-1ドイツGP終了後「引退発表会見」を行い、同年11月3日のF-1オーストラリアGPで引退されました。まさに”レジェンドの引退”です。そう特に「ホンダ党」には忘れない、忘れられない「年」に”誕生”したのです。ファンの記憶に”刺さる”クルマだったからこそ、現存する個体が多い→愛される理由なのかもしれません。

 

 このクルマ規格は「軽自動車」なのですが、中身がすごいんです。

まず、エンジンが車体の中央、ミッドシップレイアウトに置かれています。軽自動車、普通自動車どちらにもあまりみかけませんね。

また、このエンジンにあつらえられた吸気システム「MTREC」

*Multi Throttle Responsive Engine Control

によりNA車にもかかわらず馬力規制一杯の「64馬力」

もの出力が得られたのです。お金と技術がとんでもなく掛けられていたんです。

サスペンションが四輪独立懸架のストラット式。軽自動車初の四輪ディスクブレーキ、SRSエアバックなどなどこれまたお金がかかっています。なんと贅沢なクルマなのでしょうか。価格以上にお金かけてる感がありますね。

 

 

当時を思い出し試乗レビューを

 

 その日は「中古車を観たい」との友達の要望で近くの「ホンダ認定中古車店」へ

 そのガレージには黄色いカラーの「ホンダ ビート」がたたずんでいました。店員さんにお話しを聞いてみると、「プライスボード出ていませんが売り物ですよ。よかったらみてみますか?」との事。私たちはさぞ喜んだことか……

その個体は「ワンオーナー車」ですこぶる状態がよい物件でした。「よろしかったら試乗しますか?」との問いに即頷いたのは言うまでもありません。もう心臓がドキドキです❤

早速ドアを開け、「ゼブラ柄のシート」へ!

おお!なんともタイト、かつ低い!クルマに乗るというより「カート」か「バイク」に乗っている気分。思わず「これ、まんまバイクやん!」と叫んでいました。しかも顔がにやつきながら……

 クラッチを繋ぎスタートすると、いい音の割に加速がちょっと合ってないかな?と感じましたがでもNA車でよくここまでできたと関心します。

 ハンドリングは車速が上ると軽快!低速だとパワーステアリングがついていないため割と重いかな?でもミッドシップだからいいかなー

 シフトチェンジはたしか、しっかりしてて楽しかったです。トルクがないためシフトチェンジの回数は増えますが……でも面白かったでしたよ!

 

 

 最後に

 

 一時期ではありましたが、このクルマも所有自動車の候補の一つに挙がっていました。今でも中古車店に、たまに展示されているのを見かけます。思わず「見に行こうかな?」という衝動にかられます。絶対的な「速さ」でなく、気持ちよさ。有り余る力よりも、扱いきれる力を。そんな考え方が表されている車です。

 その「ビート」にも後継者ができ「s660」がそうなのですが、この機種も廃盤に……

どうか「ホンダ」さん!後継機種を!!!