子育てを振り返って~vol.8

「小学校入学~小学生校卒業

 

 前回の続きになります。

 ようやく小学校に入学することとなりました!乳幼児期に大きな病気をして入院したのが走馬燈のように浮かんできました。親として非常に感慨深いものですね。大きくなるの早いです!喜んでいるのもつかの間、私達に「PTA役員」の依頼が……

 まさか一年生で仰せつかるとは……(かなり動揺)子供の為にやるしかないと決め、頑張ることにしました。(PTAって何をすればいいのやら)

 

一年間だけですから…… 

(自身に言い聞かせていました)

 

 さて、学校以外のことですと、我が家は3人しかいないので、子供が帰宅しても誰もいない状態です。(すみません!ぬけてました、この頃は妻は働きに行ってくれてました)また必然的に子供は「学童保育所」に入所することとなります。小学校では「入学式」、学童保育所では「入所式」となるのですね。これからお世話になります!

 学童保育所は私が小学生時代無かったものでまったく知りませんでした。よく説明を聞くと学童保育所とは「共働き等で、家に帰っても誰もいない子供や、もしくは低学年で家までの距離が遠く通学が心配な子供を保護者がお迎えに来るまで預かってくれる『施設』」だそうです。核家族の我が家にはとてもありがたいところでした。即入所の申し込みをしたのでした。

 

 

 ところが、数か月すると事件が起きます。子供が朝起きて「学校行きたくない、学童保育も行きたくない」といいはじめました。たしかこの状況は1年数か月~1年半位続いた覚えがあります。これには私達夫婦、かなり悩みました。この原因はいくつかあったのですが、このことで何回も学校に行って先生とお話したり、学校での子供たちの様子を観たり……学童保育所ではお迎えに行った際、指導員の先生にお話しを聞いてもらったり普段の様子を見せてもらったりしました。この件が終息したのは、2年生も終わり頃でした……

 小学生の中盤からは、苦手な水泳を「水泳おしえて!」と自分から教わりにきたり、できないことが悔しい性格なのか自分から教わりにきてました。

そのころの私たち夫婦は、ひたすら「役員」の戦いでした。次から次へと回ってくる「役員」に奔走していました。卒業まで、いや卒業してからもしばらく続いていました。

 「子供関係の役員」はありますね~(ありすぎっす!)

小学校PTA ,学童保育所、子供会、子供会育成会等々それに「地域の役員」を合わせると”パンク”状態なんです。

 

本当にこのころは家族の試練でした。

 

子供は自分自身と戦い、私たち夫婦は子供たちを守ることと戦っていました。

 

 ”子供は親を観て育つ”と思い知らされた事がありました。それは、子供が学校行事の「役員」を引き受けたことでした。しかも、しかたなくでなく積極的に自分からです!

 

これには「育て方間違えてなかった!」と思いました。子供は見てるんです、親の後ろ姿を!

 

 色々ありました「小学生時代」でした。ですが早いもので6年間はあっという間に過ぎ去っていきました。子育てしているとあっという間なんですね。

 

「中学生時代」

 

 心配ごとが増える時代……そう、 気付けば人生を左右しかねない「中学生時代」に突入したのでした。一番多感な時代を、「この子」も迎えることになりました。病気やケガしないといいなと念を送っていました。ですが、中学生になってすぐ伝染性の病気になり1週間欠席することに……

また、部活で足を負傷し2週間治療と、ときどき冷や冷やしましたが、なんとか3年間大きなマイナスイベントはなく友達やクラスメート、部活の先輩、後輩に恵まれ、特に先生に恵まれ「中学生生活」を過ごすことができました。

 

 

最後に

 

 小学生の6年間、中学生の3年間、9年間もあるのですが簡単に終わってしまったのですね……(本当に、あっという間でしたよ)

振り返ると色々出てくると思うのですが、いざ書こうとすると出てこない……です。あとはすみません、心にしまっておこうと思います。

 

子供がいるおかげで、妻がいてくれたおかげで体験できたことが私の『財産』です。

 

 これからも彼の人生は続いていくわけですが、もうそろそろ「自立」し自分の道を歩んでいくのです。どんな道をたどるのか心配でもあり頼もしくも思う今日この頃です。

 

8日間も長い間お付き合いいただきありがとうございました。