ホンダビート(BEAT)とのひととき

  皆さんご機嫌いかがでしょうか?

 今日は、「ホンダ ビート」とのお話を書かせていただきたいと思います。

ホンダ ビートが発売されたのは、平成3年(1991年)5月世の中は俗に言う「バブル景気」が崩壊してしまった頃です。この頃のクルマ好き達の思いは「この状況でよく発売してくれた!」という(熱血なホンダ党の人が多かった……)人と、「バブル景気終わっちゃって、売れなくなるのでは?」と言う人の二つに分かれていました。

不安な事を考えていた人たちの意に反してなんと「5年間」も発売しています。総生産台数は33,892台。

 この車の概要は「軽2シーター、ミッドシップオープンスポーツカー」です。なので決して万人受けはしないクルマではあります。噂によると生産台数のほとんどがいまだ廃車にならず現存しているそう…… 愛されているんですね~

 そこで、愛される理由がしりたくなり調べてみることにしました。

すると出てきました。カリスマめいたお話が……

 

 

 1991年5月15日、その日にホンダ社内で発売発表会があったのですが、そこで創業者である本田宗一郎さんが最後に見届けた4輪車として語られています。本田宗一郎さんは同年8月にご逝去されました。クルマ好き、ホンダ車好きには「グッとくる」お話です。

 ちなみに日本人初のF-1ドライバー「中島 悟」さんが1991年7月28日、F-1ドイツGP終了後「引退発表会見」を行い、同年11月3日のF-1オーストラリアGPで引退されました。まさに”レジェンドの引退”です。そう特に「ホンダ党」には忘れない、忘れられない「年」に”誕生”したのです。ファンの記憶に”刺さる”クルマだったからこそ、現存する個体が多い→愛される理由なのかもしれません。

 

 このクルマ規格は「軽自動車」なのですが、中身がすごいんです。

まず、エンジンが車体の中央、ミッドシップレイアウトに置かれています。軽自動車、普通自動車どちらにもあまりみかけませんね。

また、このエンジンにあつらえられた吸気システム「MTREC」

*Multi Throttle Responsive Engine Control

によりNA車にもかかわらず馬力規制一杯の「64馬力」

もの出力が得られたのです。お金と技術がとんでもなく掛けられていたんです。

サスペンションが四輪独立懸架のストラット式。軽自動車初の四輪ディスクブレーキ、SRSエアバックなどなどこれまたお金がかかっています。なんと贅沢なクルマなのでしょうか。価格以上にお金かけてる感がありますね。

 

 

当時を思い出し試乗レビューを

 

 その日は「中古車を観たい」との友達の要望で近くの「ホンダ認定中古車店」へ

 そのガレージには黄色いカラーの「ホンダ ビート」がたたずんでいました。店員さんにお話しを聞いてみると、「プライスボード出ていませんが売り物ですよ。よかったらみてみますか?」との事。私たちはさぞ喜んだことか……

その個体は「ワンオーナー車」ですこぶる状態がよい物件でした。「よろしかったら試乗しますか?」との問いに即頷いたのは言うまでもありません。もう心臓がドキドキです❤

早速ドアを開け、「ゼブラ柄のシート」へ!

おお!なんともタイト、かつ低い!クルマに乗るというより「カート」か「バイク」に乗っている気分。思わず「これ、まんまバイクやん!」と叫んでいました。しかも顔がにやつきながら……

 クラッチを繋ぎスタートすると、いい音の割に加速がちょっと合ってないかな?と感じましたがでもNA車でよくここまでできたと関心します。

 ハンドリングは車速が上ると軽快!低速だとパワーステアリングがついていないため割と重いかな?でもミッドシップだからいいかなー

 シフトチェンジはたしか、しっかりしてて楽しかったです。トルクがないためシフトチェンジの回数は増えますが……でも面白かったでしたよ!

 

 

 最後に

 

 一時期ではありましたが、このクルマも所有自動車の候補の一つに挙がっていました。今でも中古車店に、たまに展示されているのを見かけます。思わず「見に行こうかな?」という衝動にかられます。絶対的な「速さ」でなく、気持ちよさ。有り余る力よりも、扱いきれる力を。そんな考え方が表されている車です。

 その「ビート」にも後継者ができ「s660」がそうなのですが、この機種も廃盤に……

どうか「ホンダ」さん!後継機種を!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

NAロードスターの煌き

 皆さんご機嫌いかがでしょうか?

 今日は「NA型ロードスター」について書かせていただきたいと思います。

当時のオープンカー(いろいろな定義がありますが……)は「NA型ロードスター」のようにレギュラー販売はしていませんでした。

たとえば、「トヨタ セリカコンバーチブル」はセリカのオープンボディーカーで派生モデルなのです。また、「ニッサン シルビアコンバーチブル」も、レギュラーモデルのシルビアの派生モデル。次に「マツダ RX-7カブリオレ」もレギュラーモデルのRX-7のオープンボディーカーで派生したモデルなのです。

 

 最初から「屋根がない」状態の車として発売されたのは「1970年 ホンダS800」(GOOGLE検索しらべ)以来なのだそうです。(間違えていたらご指摘ください)

 

 

 オープンカーと言うと車好きなら「ボディー剛性が弱くて…」と言うことが囁かれていました。「ボディー剛性」とは、例えばティッシュペーパーの空箱を準備してください。そのままだと前後につぶしてもつぶれにくいですが、広い面を取り払い先程と同じく前後に潰そうとするとすぐ「潰れてしまう」のです。これに似ています。この「ボディー剛性」が弱いと「車体がよじれる」ために主な弊害として「トラクション(路面の接地性が悪い」、「ハンドリングが悪い」等がでてきます。長期に渡ると「ドアの開閉、幌の開閉」にも影響がでそうですね。

 そこでマツダは「車体の剛性」を上げる為、シャーシの中央に「PPF」*パワープラントフォームの略を装備し対応しました。ミッションケースとデフケースをPPFで結合することで、車体の剛性と、ミッションからドライブシャフト、デフケースの駆動ロスをなくす事の二つの利点が生れたのでした。

 また、この「ユーノスロードスター」という車は「純スポーツカー」というか「純レーシングカー」のような発想で設計されています。部品の配置が全部中央重心に設計されていました。できるだけ重いものが「車体の中央」にあった方が、車体の運動性能が安定するのです。そう、発進加速、ブレーキ、ハンドリングに影響が出ます。

重いものは「できるだけ中央に」また、できるだけ「軽く」という発想を成し遂げているのです。今現在ここまでこだわって作っているメーカーさんは早々いません。しかもそれが30年以上前から初めていたことに、マツダ自動車さんの凄さが判ります。

 

 

 そこでようやく「試乗レビュー」を少々

 当時親戚が所有していました、「1600CCのVスペシャル」でした。

さっそくドアを開けシートに座ると「タン色でコーディネート」された落ち着いた雰囲気。インパネ周りは実に使いやすい距離にすべてが配置されています。こういうところもメーカーさんの底力かなと関心してしまう点です。唯一不満があるとすれば「シート」ですか……もう少し純正シートにホールド性があれば"満点”なんですが。

 比較的軽いクラッチを切ってギヤを繋ぐと軽い車体と相まって「スムーズに」加速していきます。また、ハンドリングは落ち着いていて狙ったラインに楽に載せられる感じ。シフトチェンジはクラッチは案外軽く、またギヤが入りやすくどのギヤに入っているのかわかりやすい。全体的にキビキビ走るし感覚的に気持ちいいのでした。

 幌を開けて走行すると、意外と風を巻き込まない「設計」がされているようでとてもGOOD! 黙っているといつまでも乗っていたい衝動にかられます。

また、この車に一度乗ってしまうと、車両重量が重くバランスが悪い車は「かんべん」となってしまいますわ……

 

特に「軽さは武器」になることを知った次第でした。

 

 

 最後に

 

 この車も(いや、NB型か)所有したい願望にかられた車でしたね。いまだ、「夢」になっていますがいつの日か叶えたい夢です。1989年に発売され代替わりしながらも、未だに「ロードスター」が発売されているのは驚きです。32年もの間、変わらず愛され続けているのをみると「日本人はわかってる」と思うし羨ましくあります。そんな素晴らしくできたクルマを買えるのですから……

わたしの場合いつ成就するかわかりませんが「添い遂げられるように思い続けて」いきたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

GC8(初代インプレッサ)の衝撃

 皆さんご機嫌いかがでしょうか?

 今日は、GC8こと”スバル インプレッサ”のことを書かせていただきたいと思います。

 まず、この時代までの「スポーツAWD車」のジャンルは、「スバル レオーネ」から始まり「トヨタ セリカGT-FOUR」、「ミツビシ ギャランVR-4」、「ミツビシ ランサー」、「スバル レガシー」、「ニッサン スカイライン」、「ミツビシ エクリプス」、「ミツビシ GTO」と発展していきます。

 こう順番に並べると目立つのが「三菱」ですね!そもそも、「三菱」は悪路に強い「Jeep」を販売していたからなんです。

 また、時系列順(発売順)に並べてみますと「景気が良くなるにつれ」”AWD車”が増えている事に気付くのです。

 次に目を引くのが「スバル勢」です。「レオーネ」に始まり代替わりして「レガシィ」へ、そして「インプレッサ」へと「AWD魂」は繋がっていきます。

因みに「スバル レオーネ」の4WD化は「東北電力さん」が絡んでいたのご存じでしたか?私は今日検索してて初めて知りました。(ショック⤵)知らなかった!

 思い出してみると、この当時「レオーネをみかける」度合が多かったですね。オヤジ達の会話に「やっぱり冬は4WDには勝てねえな~」と言うのを頻繁に聞いてました。

近所でも「スバル レオーネ」が誇らしげに止めてあったのを思いだしました。

 

 オタクネタなんですが、漫画「よろしくメカドック」に登場する「グ レーサーZ(日産フェアレディZの改造車)」はこの「スバル レオーネ」を元に”AWD化”して出来たんです。レオーネのAWDができなければこのお話もできなかったのです!レオーネ偉大なり!

 

 

 それではお話を「GC8インプレッサ」に移していきしょう。

 

GC8に初めて乗せていただいた時は「先輩の車」でした。たしか「スポーツワゴンWRX」だから「GF8」になるのかな?

助手席に乗せてもらおうと「ドア」を開けると、そこには「スパルタンな内装」とパリパリタイトな「スポーツシート」でした。ワゴンといえど「スポーツ」しているんです!こんなワゴン車かつて見た事ありませんでしたから驚きと同時に”カッコいい”とも思いました。スポーツシートは正に固めの本格派です!

 

 早速シートベルトを締め同乗となりました。エンジン音が低速から「ドクドク」と脈を打つように鼓動します。スバルの名機「EJエンジン」が奏でる排気音です。独特な排気音ですよね。エンジンを高回転まで回してもらうと「突然背中を押さえつけられたような」”G"がきて突進していく……といった感じでした。恐るべしインプレッサ

 室内をよく見渡すと「タイト感漂う黒」でまとわれており操作系では、太くて握りやすいMOMO製ハンドル、スポーツタイプのシート、後ろのシートに関してははお世辞にも広くはなく狭いです。

室内の中で一番の危惧は「マニュアルミッションのシフトレバー」です。運転したことがあるのですが、「ガラスのミッション」と呼ばれるほど「弱い」です。入りずらい、グラつきがある(ユルユル?ガタガタ?)んです。スバルさんへ!これが一番重要ではないかな?と思うのですがいかがですか……マニュアル車の醍醐味はシフトチェンジ時気持ちよく「一回で入る事」、「ストレスなくギヤが入る事」だと思うのでした。それは阻害しないでほしいです。これがなければ「インプレッサ買ってたかも……」

 

 

ハンドリングは「カミソリ」のように瞬時に向きを変えられるイメージでしたね!同じ280馬力の「R32 GT-R」と比べ車重が”約160kg”違うから車体を振り回せられるのです。面白いですよ!!かの、土屋圭市さんが発売当時絶賛していたのはうなずけます。

 

 最後に

 

 同じAWD車でもR32は「ツーリングカー選手権」へ出場。オンロード(舗装路)で戦い、GC8は「WRC 世界ラリー選手権」へ出場し戦っていたのにはとても興味深いのです。

 ですが、どちらも活躍し優勝しているのはひとえに「made in Japan」だからなのでしょうね!本音を言うとインプレッサ特有の「ガラスのミッション」がなければ「購入」してたブランドですね。でも、この車体にも「出会えてよかった」です。未だに「軽快なハンドリングと圧倒的加速感」は何物にも代えがたい。私を本気にさせ、衝撃を受けた機体の一台でした!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アルバイトの経験から

 皆さんご機嫌いかがでしょうか?

 

 今日は、アルバイトの経験談を書きたいと思います。

私が”アルバイト”を始めたきっかけは、単純に「お金がほしい」、「就職活動する前に社会を知りたい」思いがありました。また、「将来、親から自立していかなければヤバいかも……」との思いがあったからなのです。ま、単純に家が貧乏だったからそういう考えもありましたから。

 この時期を回想してみると世の中もうすぐ「春休み」なんですね~

学生さん達は「遊びに行きたいけどお金がない」状態とお見受けしました。

 

そうなんです!

 

春の陽気で暖かいし、お天気も比較的安定している、空いている時間がそこそこある……だけれど軍資金が無い……

 

そう、そこなんですね。ある程度の年齢に達すると「お金」を必要としてくる、調達しようとする、そういう行動が芽生えてくるんですね~明らかに「大人的行動」だと解釈できるのです。それまで親に「せびって」お小遣いを貰っていたのに、お金が足らない……とアルバイトしようとするわけですから!

あなたは進化してるのですよ。偉いと思います!

 

そこで私の経験談と、思ったことを……

 

私の最初のアルバイトは高校生時代の「郵便配達」でした。そう、「年賀状の配達」でした。当時アルバイトをしてる子は、「中学生から新聞配達」をしてましたね。

 私は、早起きが苦手でしたので新聞配達の勧誘は丁寧にお断りし、「郵便配達」にしました。かれこれかなりの年数が経ってしまい詳細については記憶がないのですが……

自分の住んでいる地域に近いところを担当地域にしてもらい地図を片手に持ち郵便局の赤い自転車を借りていざ出陣!!今と違い、個人情報規制法がなかった時代でしたから、住所が判らない時は近所の方に聞くと教えてくれたので仕事はやりやすかったですね。

 冬のある日、アルバイト中「赤い自転車」が壊れて郵便局の方に迎えにきていただいた事もありました。今となってはいい思い出です。

 

このアルバイトで学んだことは、ズバリ「働いて稼ぐことは大変だ」という事でした。当たり前かもしれませんが、数十件回って自転車使って(寒さをこらえ筋肉痛になりながら)配達して時給「OOO円」は安すぎるとか思いました。

 

次に始めたアルバイトは「お惣菜販売」です。

スーパーマーケットにテナントで入っている「お総菜屋」さんでした。

対面販売でお客さんのほしいグラム数で量り売りする、いわば「売り子」でした。

ここで学んだことは「接客のしかた、目上の方への接し方」が勉強になりました。

最初は物怖じしてしまい、笑顔がでなかったのですが、慣れるにつれ「笑顔でお客様とやりとり」できるようになりました。自分では恐ろしい進歩でした。

 

 引っ込み思案な奴だったのに、やればできるものなんですね~お金からむと……

 

また、アルバイト先では年上の人しかいませんので、自然と敬語を使ったり、持ち上げ?よいしょネタを入れたり。

同級生には決してやらないトークです。生きていくのは大変なんです。生きていくことの術を勉強になりました。

 

 

 最後に

 

アルバイトをしてみた感想、思った事を書きます。

全然アルバイトをしないで「社会に巣立つ」より「アルバイト経験」があった方がいいと思いました。自分の進路決定(私は違いました)に直結するという事です。

アルバイトを選ぶのに自分が苦手な分野には決して行かない、選ばないのです。

 

本当です!

 

因みに頭の中でシミュレーションしてみてください。これを自分の進路だったら……その選び方が進路決定への考え方です。「自分に合いそう」、「この業種のここが苦手」、「時給(月給)が高くないと……」とかいろいろ浮びますね!

 

進路に悩んでいる方はアルバイトしてみましょう!!

 

アルバイト経験のある方へ

 

いかがですか?アルバイト大変でしょう?これは現実なのです。全国の平均時給が「902円」なんです。一時間働いて「902円」なのです。一日働いて(8時間労働、1時間休憩)ですと902円×8時間=7216円しか得られないのです。

 

そこで提案なのです。

 

いまのご時世早々お給料は上がって行きません。なので自分に合う副業をかんがえておく。また、スポーツ専攻している方は「第二の人生」を考えておきましょう。(ちょっと早すぎましたか?)それには経験です。経験は財産です。何らかの形でも絶対後に役に立ちますよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東日本大震災からはや10年

 本日は3月11日、未曾有の東日本大震災から10年

 

 いまだに思い出します……

午後2時46分突然横揺れがし始め、その揺れは縦揺れも伴いながら徐々に激しくなっていきました……

 

私は生きながらえて無事ですが私の同級生が、何名か未だに「行方不明」なんです。

同級生のご家族のことを思うと、いたたまれない気持ちになります。10年たった今だったら孫に囲まれ「若おじいちゃん、若おばあちゃん」と呼ばれる”奴”もいただろうに……

 

 震災から10年で「ご遺体」が見つかったニュースが報道され、安堵と「行方不明の同級生」だろうかと考えてしう自分がいました。

10年経ちましたが、未だに癒えない心の傷と、切なくなる思い、震災の衝撃、は残ったままです。

 

けっして忘れることはできないし、忘れないでしょう……

 

ですが、少しづつ心の傷が癒えますように……

 

亡くなられた方々にお悔やみを申し上げ哀悼の意を表します

 

 

行方不明の同級生へ

 

「未だに俺達心配してんだからな!早く帰ってこいよ!」

 

R32(GTS)との蜜月時代

 皆さんご機嫌いかがでしょうか?

 今日はR32こと「8代目ニッサン スカイライン」について書かせていただきたいと思います。R32と言えばそう、「”伝説のGT-R”が復活」したモデルです。

 当時の全日本ツーリングカー選手権の「グループA」レースで勝利するため、出場規格に合わせこんで造られたモデルでした。デビュー戦(1990年)はなんと、二位以下のライバル車を周回遅れにしてしまい、ぶっちぎりの優勝!!ライバルは「フォード シエラ」でした。それまで苦戦していた「R31 スカイラインGTS-R」からモデルチェンジし、R32型を投入して見事に勝利することが出来たのです。それから、このレースが開催を終了するまでのレースを勝ちまくり、なんと26勝(4年間で)も上げる快挙を達成したのです。

 

 

 ここからは、華々しい栄光の「GT-R」ではなく本題の「スカイラインGTS」について書いていきたいと思います。

私が所有していた「スカイライン」は、グレードで言いますと「クーペGTS25タイプS」です。いわゆる後期型です。珍しく「5速マニュアル車」でした。なぜ、このグレードにしたのか疑問に思われる読者の方が多いと思います。

 たいがいの「スカイライン乗り」の方は「ターボ車」をチョイスする為、私のような「NA車」好きが選ぶ車ではないでしょう。ですが、このグレードかなりいいんですよ。ターボ車でないので”高回転”のパワーこそないものの低回転から力強い加速が得られます。排気音は、「低回転時で野太く、高回転時でかん高い」優等生。高回転まできっちり扱いきれるエンジンでした。排気量が2500ccで低速のトルクがあり、その上車重が軽いので、当時の「スバル インプレッサ」についていけました。ガソリンは「ハイオクガソリン指定」でしたが以外に(マニュアル車でしたし)燃費が良かったのを覚えています。たしかリッターあたり約10Kmでしたか……

 

ちなみに他のグレードをレビューします。

 

 メインで売れた「GTS-TタイプM」は2000㏄のターボ車です。当時は0~400(ゼロヨン)が「マツダ RX-7」通称”FC型”より速かったと聞きました。

運転してみてですが、低速はスカスカ、高回転で炸裂する感じでした。でも「ドカンとくるような衝撃ではなかった」です。ハンドリングは「R31型」よりキビキビ走るので面白く楽しい車でした。

 

 いいとこどりの「GTS-4」ですが、パワーに対して車重が重い(GTS-tタイプM比約+80kg)です。この車は「GT-R」同様4WD車なんです。なので+80kg

(タイプM比)の重量なんです。出足の加速感はどちらかといえば”どっしり”した印象でした。

 

 

 一番の廉価グレード「GTS」は排気量が2000㏄のNA車です。パワーが150psしかないためイマイチ「低速ではトルクが、高回転ではもっとパンチが」欲しくなりました。

 

 最高グレード「GT-R」ですが、さすがに加速は物凄いものがありました。が唯一の弱点は「ブレーキ」です。そのすさまじい加速と重い車重の為、ブレーキには厳しいです。ある意味怖いですね。止まりにくいのは……この車は4WD車(ときどき4WD)なので不意に空転するタイヤが出ても、残りのタイヤがグリップするので安心感、安定感が得られる優れものです。

私の話に戻ります。

この車(GTS25タイプS)は中古車でした。約半年かけて探し出し、みつけて手に入れました。やはり好きで買った為、毎週のように休日は「洗車」、「ドライブ」と駆け巡りました。そのせいで「独身時代が長かった」ですね。(笑)お金が貯まれば「チューニング」に走り、すぐ「金欠」に逆戻り。ボディーがサビてくれば直し直し乗り、タイヤが減ってきたと思ったら「タイヤカタログ」とにらめっこ。

 

本当に「GTS25」と共に過ごした日々は楽しかった……楽しかったです!ありがとう!

 

 この車があったこそ「辛い事も悲しい事」も乗り越えられた……癒しや、潤いがそこにたしかに「ありました!」

そんなに苦楽を共にし愛情を注いできたのですが、「病」にかかってしまうのです。そう「サビ」という「ガン」に侵されてしまい、治ることはありませんでした。「治して」も「治して」もサビは広がるばかり。

約8年も蜜月関係が続きましたがお別れすることとなったのです。

  今でも時折思い出すことがあります。今では楽して「オートマ車」に乗ってますが、「あの当時はちょっと”重めのクラッチ”蹴っていたっけ」と……

 

 

最後に

 

本日はR32について書かせていただきました。いまだに「思い出す最高のパートナー」でした。これを越えられるのは「BMW」だけでしょう。(おそらく)NA車でFRの車がありませんからね……さびしいのです。もっと国産車がんばって!!!

それから今回投稿回数「101回」と100回を超えることができました。これもひとえに読者の皆様のお陰です。

 

ありがとうございます!!

 

200回、300回とがんばっていこうと思いますので、引き続き読んでいただければありがたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

S13(シルビア、180SX)との記憶

 皆さんご機嫌いかがでしょうか?

 

 自称”クルマオタク”の”ピンクスナップ”です。

今日は、S13(シルビア、180SX)との記憶と題して書かせていただきたいと思います。この車たちを見かけるたびに、私達「オジサン世代」は”胸が熱くなる”思いが込み上げてくる事と思います。青春真っただ中でしたから。

 

 この当時と言えば、そう「バブル景気」でした。この時代、いい車が【ステータス】であり、(今でいうと”マウントを取れる)男性の「ナンパ用の最高の武器」でした。そういった時代の背景があり高級車が【特に有名どころが】バカ売れしていたのです。

 

 国産車に目を移すと特に「日産車」が一番元気よく、大げさに言えば「新車で出せば必ず売れる」くらい売れていました。日産車のデザインはかっこよくて良かったでしたから。その中で日産は、ホンダのデートカー【ホンダ プレリュード】を駆逐せんと世に送り込んだのが「S13型シルビア」だったそうです!

*プレリュードはその美しいシルエットデザインの為女子ウケよろしく、バカ売れしていたのです。

 

S13(シルビア)が販売されたのは昭和63年(1988年)の5月に世に出ました。

*180SXは(1989年5月)発売

 

 市場の反応は?といいますと「前型(S12型)より垢抜けてかっこいい」、「内装がインテリアみたいでおしゃれ」等などデートカーとしては「上々の出来」でしたが、

その外装のみならず”スペック”に注目したのが「走り屋」さんでした。

排気量が1800㏄(マイナーチェンジ時2000㏄にエンジン変更)、車両重量が1120kg(S12型より約20kg軽量)、この時代希少な後輪駆動(FR車)なので、要は「ドリフトができる」、「AE86後継者」と話題になり「走り屋」さんたちの♡をわし掴みしたのでした!

 当時「走り屋御用達」車は「AE86,AW11、KP61」等のトヨタ車、「CR-X,シビック」等のホンダ車、「ランサー」の三菱車でしたか。この車種に最新の「S13」が加わるわけです。

 

 しかも飛び切りの”美人が!!”

 

記憶の断片でしかありませんが当時のレビューを少々

 

 外観は曲面を上手く使ったシンプルで美しいシルエット。ここまで美しいと思う国産車はそうそうなかったです。令和になった現在でも……

それでも初代シルビアがモチーフだそうで……

このお話は後に知ったのですが、ドアのピラーの造形は「初代」に「似ている」んですね~是非比べてみてください。ほんまに知りませんでした!

 

 内装に目を移すと、造形が曲線で、包みこまれる感覚なのです。内装の生地も”落ち着いたグレー”とレザーパッケージ(オプション)の黒内装の二種類があり、どちらも似合っていました。この辺りはさすが、「デートカー」としてでてきた面目躍如といったところです。たしか、「GOODデザイン賞受賞車」です。さすがですね

 

 ハンドリングというと、比較的軽量な部類に位置し(俗にいうライトウェイト)思ったラインに乗せやすいです。

キビキビとした感じが楽しめました。

 加速感は、ターボ車の場合ですが、「いつの間にかトップスピードに載っていた」感です。ターボの効き具合が少し抑えられいたようでエンジンの回転数を上げても”ドカンとくる”感じではなかったですね。これも「デートカー」の設定だからなのでしょうか……そういった部分も「走り屋」さんの「カスタム、チューニング」対象になったのでしょう、パーツはかなり出てましたからね~

 

 NA車は、「運転しやすい」、「ドライブを楽しむ」事がメインで調整されていたように思います。エンジンの回転数が滑らかに上がっていく感覚です。1800㏄車はもう少しpowerがほしいところでした。そういったことから、マイナーチェンジ時「SR型2000㏄エンジン」に変更されたようです。

 

この当時の噂話をひとつ……

 

純正タイヤ&ホイールサイズが15インチなのですがインチアップして”2インチアップ(17インチ)”しちゃうとシャーシに「クラック(ひび)が入る」ようでした……
怖いですね~

 

最後に

 

 S13型は「友達」、「弟」も乗っていたんです。先輩もでした。

所有していませんでしたが(購入検討したこと何度かあります)身近に感じられて思い出がある一台でした。ただ、欠点とすれば、”雪国特有”の日産車ゆえの「サビやすい」ことくらいです。車体がボロボロになっていくのは嫌ですね~

最近はすっかり見かけなくなりました。眺めるだけでもいいんですが……

もう一度出会いたいです!美しいシルビアに

 

 

TOYOTA SUPURA(初代A70型)の思い出

  皆さんご機嫌いかがでしょうか?

 

 今日は、トヨタ スープラ(初代)A70型との思い出を書かせていただきます。実はと言いますか、正確にいえばその前の「トヨタ セリカXX」のアメリカ輸出向けの名称が「スープラ」だったのです。

セリカXX”の”XX”の部分がいけなかった(国によってありますよね~)ようで、そのセリカXXに変わる物として「スープラ」という名称が入ったのです。「supura」とは「上に、前に」という意味です。「セリカスープラ」と出ていました。

*ちなみに「タミヤ プラスチックモデル」で「サーキットのマーシャルカー」として

 キット化されてました

 

 セリカのモデルチェンジに伴い「トヨタ スープラ」としてデビューしました。ちなみに「FF車、4WD車、2000㏄」がセリカ、「FR車、2000~3000㏄」が

スープラと役割が変わったのです。メーカーとしては、手頃な価格のスポーツカーですが、「FF車だと余計なコスト『部品』がかからないので安価で出せる。また、より上級な「スポーツカーがほしい」顧客に出せるモデルも欲しいと言う訳で、二つの戦略を取ったのです。スープラはFR車の為、よりコストがかかります。なので上級志向に販路を傾けたのです。

 

 

 さて、「トヨタ スープラ」ですが当時は所有していた訳でなく借りて運転させていただきました。グレードは「2000GT」と最終マイナーチェンジ後の「2500GTツインターボ」です。「2000GT」はNAでした。

 当時の記憶をたどると、「2000GT」も「ツインターボ」もハンドリングに重みがあり「どっしり感」がありました。やはりツアラー系と言ったほうが納得いきます。アメリカの広大な景色を観ながら疾走する感じが似合います。

 車体の加速感の方は「2000GT」はターボがないため、ゆっくり。「ツインターボ」は結構な加速感でしたね。

ツインターボの設定が比較的穏やかなので知らぬ間に「結構な」スピードになっていた感じでした。

 シフトはどちらも「5MT」でした。これはスープラの特徴ですが、シフトチェンジをするのにたしか、シフトパターンが左に寄っていたのを記憶してます。慣れれば問題ないのですが……シフトする際も少し”渋い”気がします。

 外観は「ロングノーズ」、「リトラクタブルヘッドライト」、「ハッチバック」でとにかくカッコよいです!!

 内装はどちらも「ゴージャス」です。さすが「上級スポーツカー」ですね。特にシートが体に合うといいますか馴染むといいますか……ドライビングポジションを自分好みに変えられる「ハンドルチルト、スライド」機構付きで不満はないです。ただ、スポーツカーの為後部座席が狭いです。5人乗用ではありますが実質2人乗りですかね。なんと贅沢なことか。

 

 知っていますか?この車「トランクルーム」がとても”広い”のです。因みに、エアロトップというグレードは、”屋根が取り外し可能”なので、取外した屋根がこのトランクルームに収まるのでした。この辺りの思想が”スポーツというよりグランドツアラーだと思っています。二人で「小旅行」に行くのには荷物が結構入るのでいいと思います。ただ「リヤ」が軽い為、雪国の冬の道路はキツイでしょうね~ トラクションかかるのかいな?車高も低いですしね……

 

 

 

最後に

 

 いまでは完全に見かけられなくなった「形」です。シンプルなんですがなぜか引き込まれるんですよーこのカッコ良さはいまだ健在です!!

 個人的に「MT」より「AT」のほうがこの車には似合うのかな?と感じます。私に似合うか似合わないかといえば、正直”似合わない”かもしれませんがまた乗りたい車です。また出会えるといいな!スープラ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

AE86(カローラレビン)の思い出

 皆さんご機嫌いかがでしょうか?

 

 自称クルマオタク”ピンクスナップ”です!!

今日は、車好きだったら知っている「AE86」(カローラレビン)とのお話を書いていこうと思います。

 

 「AE86」とは”自動車の型式”のことで、この場合4代目のカローラレビン、スプリンタートレノ(この二台は兄弟車)の事なんです。この二台は同じ車体の型式なんです。

ちなみに車種のグレードによって少し変わります。2ドアの型式は「E-AE86-FSMVF」となり間に「AE86]と入っていますね!

そう、その「AE86」がみんなの”愛称”となった訳です。

*「AE85」とは、エンジンが違い「1.5リットルSOHCエンジン」が載っています。

 

発売当時から「最後の」”トヨタライトウェイトFR”としてでてきました。

 次のモデルは”FF車”で販売か?と噂されていた(たしか?)のもあり中古車は値が下がらなかった印象がありました。(実際高くて買えませんでしたね)実際にセダンは”FF車”に移行していましたからね。その後は、漫画「イニシャルD」の人気があり、再度中古車市場が「高値」に湧きました。”藤原拓海”仕様が人気です。

恐るべし!!

 

 

私の思い出です……

 

 この当時私はある職業に就いていました。その時の先輩が「現場まで運転していってくれ」と言われて度々先輩の代わりに運転しました。

 因みにこの「AE86」の詳細は……

たしか、昭和61年式?か、62年式カローラレビンの2ドアクーペ、ボディー色は「白黒の2トーンカラー」

グレードは「GT APEX」でしたか。先輩仕様として”14インチ”の「ワタナベ」のホイールを装着してました。

 

乗り味は……

今でも思い出しますが「当時のトヨタ車」しかも

車体が軽い(約920kgですか!!)こと!!

ハンドリングは切りたいように切れると言えばいいのでしょうか……もう狙ったように切れた印象です。

また、エンジンが軽く軽快に吹けるんです。黙って加速して行くと「警告音」が鳴る始末……さらに5速マニュアルで軽いタッチでシフトチェンジ出来ていました。シフトミスはほとんどしなかった記憶がありますね。気持ちよくシフトチェンジできました。

 シートに関してはこの当時トヨタ車特有の形のスポーツタイプでそこそこホールドできていました。(たしか材質は”合皮のレザー”)一応5人乗りですが、後部座席の方が異様に狭いので「長時間の乗車はきつい」と思います。二人乗りが一番ですね。

 

 内装は「角ばった」形です。デザインは悪くなく(当時のトヨタ車です)シンプルにまとまっていますね。流石です。当時の純正ホイールサイズは「13インチ」、GT-Vのグレードでようやく14インチなので、15インチにサイズアップしようものなら「軽快感と加速感」が薄れていたと思います。タイヤもようやく「50%、55%扁平」が出てきたばかりでしたから。

 

 

最後に

 

 この車は有名なプロドライバーがドライビングの練習に使用していたようです。有名な方と言うと「土屋圭市さん」、「織戸学さん」とか……実はこの車自在に「ドリフト」させるのちょっとコツがいると思いますよ。誰かが言っていたのですが「センター重心」の為にドリフトにもっていくのは「コツがいる」と……重量配分の比率がフロント「53」、リヤ「47」なんです。意外とセンター寄りなんです。

*たいがいの”FR車”は前に「エンジン」があるので「60対40」位になってしまうのでフロントが重いのです

 

だからこそ「運転技術を磨く」のに適しているのですね。自由に乗りこなせるとそこに「一体感が生れる」し……

 

自分が運転していても「上手くなったような」、「もっと上手くなりたい」思いがあった、思いが詰まったクルマでした。いい時代でした。本当に楽しかったありがとう、

AE86!!」

 

 

 

 

小説「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている」を読んで

 皆さんご機嫌いかがでしょうか?


 今日は小説「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている」、略して「俺ガイル」を読んでレビューを書かせていただきたいと思います。ようやく書く機会がめぐってきました。結構時間がかかってしまいました。

 実際にこの小説を読んだのは昨年5月~7月でした。まさに世の中「コロナ過」でようやく外出し1巻から買い出して読み始めました。(なんと本編14巻あるんです!)

まず、この小説の主人公は「比企谷八幡」という男子と「雪ノ下雪乃」と「由比ヶ浜結衣」の二人の女子でおりなす、ラブコメディーなのです。最初の第一巻を観るとその

雰囲気があまり感じられないのですが……(担当のアニメの声優さんもそう感じてたようですね)

この小説の面白い所を幾つかご紹介します。

 

まず、

語り部である主人公のしゃべりが面白い」

 

 お話を進める語り部ですか?この主人公「比企谷八幡」のしゃべりがなんともおもしろおかしくてついつい観て読んでしまいます。オジサンの私がわかる「時代ネタ」で喋っているのです。これは反則ですよ!!(笑)

 

 

「主人公を含む全キャラクターの描写、心情の描き方が上手い」

 

さすが7年8か月も長期連載されたこともあり「後半につれて」その傾向が強い、もしくは計画的な「表現」をしているところです。これは是非読んでいただきたいです。

 

 

「ひとりぼっちだった『比企谷八幡』が成長する姿」

 

 これは心にきます。なぜか、自分自身に重ね合わせてしまいました。最初は友達がいなくて一人だったのが「平塚静先生に促され」奉仕部に入ったことから変化していきます。私からすると内心「八幡よかったね」と思っていました。その後の彼の活躍は……(はぅ!!危うく書くところだった)是非読んでみてください!!!

 

 

「舞台である”千葉県”が事細かに書かれている」

 

 これは「千葉に聖地巡礼してみたい」とおもわず思いました。千葉は広いし、色々な有名スポットがあるのがよくわかりました。行きたい!行ってみたい聖地巡礼!!!表現の仕方が上手い!!

 

 

「後半の主人公(ヒーロー、ダブルヒロイン)による”三角関係の行方」

 

 ほんとにもう、最初はその気がなかったのに……後半がもう切なくて切なくて……切なくて死にそうです!

誰の味方でもなく、「そのままの関係でいられないものかな……」と思うのです。ここも最後まで目が離せません。是非読んでいただきたいみどころです。

 

 

 最後に

 

 わたしが初めて読んだ「ライトノベル」でした。恋愛だけでなく、友情、人間関係もクローズアップされ重みがある作品ではないかと思います。なにか、自分が忘れてきてしまった大事なものが「この作品」でようやくみつけられた……そんな気がしました。また、お笑い要素もあるので幅広い年代に楽しんでいただける作品だと思います。

 作品自体完結してしまいましたが、なにやら続編も……

あるといいですね!それではまたお会いしましょう!

政治家の方に"KY"な状況を

 皆さんご機嫌いかがでしょうか?

 最近よく耳にします政治不信について書かせていただきたいと思います。

まず、国民は何に怒っているのかが判っておられない(特に)国会議員の方が多いと思います。そうなってしまうのは、おそらく、「報道関係者、記者」と国民の一言は「一緒」と思っていないからだと思います。俗に「ぶら下がり取材」などで取材を受けている国会議員がいらっしゃいますが、その場で記者に「キレて」いる所をみると「記者は一国民として扱われていない」とみえます。

 何を言いたいかといいますと、議員の方が日頃

から、すぐそばに「国民が見つめている」という気持ちで振る舞いをしていないからです。そう、「議員」になると「リーダー」なわけです。国民の先頭に立ってひっぱる立場なわけです。国民から集めた税金で国や県、市や町、村を作っていく方です。俄然注目しますし、するのです。

そんな人が、「一人で飲みにいった……」とかで嘘を言ってしまっては、「うちらで選挙して選んだ人に嘘をつかれた」「国民の上に立つ人が平気で嘘をつくんだ……」となるわけです。誰を信じればいいのかわからなくなりますよ……

 

やはりそこは「うそなく正直に」答えましょう。後で絶対にばれますから……

 

あとは、一言「言ってしまった事」は正直に”みとめましょう。バレないだろうと嘘をつき、後で「認めて」しまうのであれば正直にお話され謝罪された方がいいですよ。

国民は「嘘、欺瞞、誤魔化し」を特に「嫌い」ます。

記者が議員に質問する内容は正に「国民の気持ち、思い」そのものです。すぐそばに「国民」が観ているのだと「自覚されて」発言されてみてはいかがでしょうか?

 

最近の”セダン”に物申す!

 皆さんご機嫌いかがでしょうか?

 自称クルマオタクの”ピンクスナップ”です。今日はタイトルにありますように、最近のセダンに物申す!」ということで書かせていただきたいと思います。

 

いったいいつからなのでしょう?

”セダン”タイプの自動車が少なくなってきたのは……

 昔話をさせていただきますと、昭和から平成へ元号が変わるころはセダンタイプの自動車は「一番」売れていました。セダンが売れていればこそ、その当時売れつつあった「スポーツカー」にメーカーが投資し始めたのです。バブル経済の入り初めでしょうか……

 その時代までなぜセダンが牽引できたのか?答えは「第二次ベビーブーム」にあるのではないかと推測します。1970年代前半にベビーブームが起こった世代の親御さん達がお出かけや通勤に購入していた……現代ですと、ミニバンですね。その当時はほとんど商用の「ワンボックス」カーしかありませんでした。セダンの対抗馬は当時「ハッチバックタイプ」のコンパクトカーでした。セダンが売れすぎて相手にならない時代でした。

 ちょっと数字のお話を……1988年で国産セダンタイプの種類は約50種類、ハッチバックタイプは約23種類です。 それがいまでは……

 

国産セダンは16台だけの販売です。(2021.3.3現在)

寂しい限りです。車好きとしては……そこで私なりに「改革案」を!というか、だめだしをさせていただきます。

 

 まず、”デザイン”のお話を。

 

”車のデザイン”を「外国車」に近づけるのはやめましょう。もしくは「F-1マシーンの1部分」とか……国産メーカーさんはもっと個性があっていいと思います。

その中、最近がんばっている国産メーカーさんは「マツダ」だと思います。得意の「曲線」を使いエグい位に「セクシー」さが協調されています。しかもどこのメーカーにも似ていないところがいい。マツダさんが昔発売した「ランティス」というクルマはカッコ良かった!皆さんご存知でしょうか?センス良かったと思います。(あまり売れなかったのは時代のせいではないかと)あの当時のように個性を主張していっていいと思います。(現在ですと、イタリアのメーカーでアルファロメオですか元気があります)

 しかし「一番売れているメーカー」さんは、なにか、「デザインに迷いがある」ような「余計なライン・無駄な部品が多い」ように思います。もっと昔のように「のびやかに、シンプルに」で良いと思うのですが……内装も「デジタル」を意識せず「もっとシンプルに」でいいと思います。最新技術をみせたいのはわかるのですが、それより内装の「優雅さ、リッチさ」のほうが刺さります。目にあまり「情報量」を与えすぎると疲れますから……

 あとボディーサイズは「日本サイズ」でいいと思います。

外国車、逆輸入車にあるような「ワイドボディー」は大きすぎます。日本の道路事情似合いませんし。

 また「車両重量」は軽いほうが絶対いいです。売れてる「ミニバン、ワンボックスカー」には相当なアドバンテージですから!軽ければ「ハンドリング」、「発進加速」、「ブレーキング」、「燃費」など様々な点で良い影響があります。何卒ここはお願いしたいです!

 

 どのメーカーさんにもお願いしたいのが「大口径サイズのタイヤ&ホイール」はもうやめましょう。サイズの大きさで「乗り心地、騒音」が犠牲になります。ほぼ外観の優越でしかないと思います。ブレーキローターを大きいのをつけてる訳ではないでしょうから……

 

 最後に

 

 いい時代を観てきたものとしては、現代のクルマは”ゴテゴテ感”が強調されて、観えてしまいます。もう少し「デザイナーさん」に自由にデザインしてもらってもいいのかなと思うのです。

外国車と”比べる”のでなく”比べられる”車であってほしい

そんな自動車を待ちわびています。ファイト!日本車!!

 

 

 

 

 

 

 

小説「響け!ユーフォニアム」波乱の第二楽章 前・後編を読んで

皆さんご機嫌いかがでしょうか?

今回は小説「響け!ユーフォニアム」波乱の第二楽章 前・後編を読んでというタイトルで書かせていただきます。

 この物語は小説「響け!ユーフォニアム」1~3の続編、アニメ版でいいますと「第二期」からのお話になります。因みに映画「リズと青い鳥」(アニメ)、劇場版「響け!ユーフォニアム~誓いのフィナーレ~」(アニメ)の内容が入っている小説になります。*小説が原作になってます

いわゆる「黄前久美子2学年時代」のお話です。

 正直なところ、私はアニメ版の「リズと青い鳥」、「響け!ユーフォニアム~誓いのフィナーレ~」を先に観ていたのですが、画質、お話の内容は劇場版なので「クオリティー」が高いのです。ですが、いかんせんアニメ「響け!ユーフォニアム」1~2の内容が濃いため(全26話なんですよ!時間にして計約600分)比べると、圧倒的にトータル時間が少ないのです。(劇場版2作合わせても190分)なのでもったいないんですね~このオミットされた時間……もっとみたいです!

 そこで、その欠落した部分のお話が知りたくて買ったのでした。まず、主人公である「黄前久美子」の使い方がうまい!(武田綾乃先生さすがです!)と思いました。彼女はユーフォニアムの奏者なのですが、先輩方に「一年生指導係」や「吹奏楽部のお悩み相談」をおおせつかり、「二年生の中心」となるべく奔走していきます。その姿が「演奏者」だけでなく余計に「黄前久美子人間性」の部分が強調されているのでした。またそれが人間味をおび、引き込まれていきます。

 

 この物語は、ライトノベルにあるような「魔法をつかう、異次元に飛ぶ等」の飛び道具がない、普通の生活から

導きだされたお話なんです。日常生活アニメです。それがこんなにも引き込まれ、興奮し、キャラクター達に陶酔してしまうのか......凄い作品に出合いました。

 私が考えるにこの作品のプラス要因は「セリフが”生きている”」、「一人のキャラクターをきっちり”肉付け”」している事。なにより判りやすい所です。「キャラクター同士を競わせ、戦わせ、悩ませて」掘り下げているからこそ出る「人間臭さ」が際立ち、感情移入してしまうのではないでしょうか。

 「黄前久美子」は真ん中の学年で(2年生)、先輩と後輩に板挟みになりえる状態です。そんな黄前久美子を先輩たちはいい人物として見抜き将来を託そうとします。「将来への布石」を先輩たちは打っていくのでした。この策略をもちいたことにより黄前久美子はその後自分自身を、また吹奏楽部全体を助けられます。この先輩たちの将来を見越した行動が「いいお話」といいますか、良いエピソードなんですね~何と「いい人達」だったことか。中々現実はいませんよ。そんないい先輩たち。羨ましいです!

後輩達も「悩み事」を聞いてもらうことにより「吹奏楽部」が円滑に整っていくこととなります。

響け!ユーフォニアム」の良い所は”お互いの思いを共有”している所だと思うのです。辛い事、苦しい事、泣いた事、大喜びした事。キャラクター自体がしっかり描かれているしキャラクター同士の掛け合いもしっかり描かれている為、思いをぶつけるシーンの部分が余計に感情移入しやすいのではないかと思いました。 この作品を観てると、「よく飛び道具がなくても盛り上がり、完結できてるな」と関心してるところです。

改めて思います、生きることこそ「ドラマ」なのだと……

 

最後に

 

 世の中「コロナ過」で世知辛い世の中になりつつありますが、そんな時代だからこそ、この小説のような「人間臭い」、「元気をもらえる」お話が心に刺さるのではないでしょうか?じっくり読んで楽しんでいただける内容になっております。

是非、ご覧になってください!

 

 

 



オヤジの晩御飯Vol.3

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キャベツ余り野菜のトマトスープ

今日は、「キャベツと余り野菜のトマトスープ」を作ってみました。

 

レシピ

(2~3人前)

 

・キャベツ             2枚

・余り野菜             少々 

(今回は人参と玉ねぎが入っています、お好みで)

・ウインナー            2本

(ベーコンでも可です)

・トマトホール缶          1缶

コンソメスープの素        小さじ2杯

・塩                少々

・水                3カップ

 

食用油(またはバター)               少々

 

 

 

 

作り方

 

1.余り野菜を一口大に切る、ウインナー(またはベーコ     

  ン)は1cmの斜め切りにする。キャベツは2cm角に切

  る 

 

 

2.先に切った「余り野菜」の方を食用油(もしくはバタ

   ー)で”フライパンで”炒める

 

3.余り野菜がしんなりしてきたら、ウインナー

 (ベーコンでも可)も投入して炒める

 

4.火が通ってきたら「鍋」に移し、水とコンソメスー

  プの素を入れ5分程煮込む

 

5.最後にキャベツの切った物、トマトホール缶の中身

  を入れ煮込む

 

6.最後に塩で味を調えて完成!

 

 

最後に

 

トマトホール缶はリーズナブルな価格なのであると便利!

野菜は多く入れると、水とコンソメスープの素の量が足りなくなります。なので調整して作ってみてください。